読み下しの仕方「東す」「西す」「南す」「北す」

はじめに

漢文の訓読において、「東(ひがし)ス」「西(にし)ス」「南(みなみ)ス」「北(きた)ス」とある。

ちょっと違和感のあるこの読み方を調べてみた。

「西す」を例にして解説する。

西す

【読み】にし-す

註:「セイ-す」と読んでしまいそうだが、「にし-す」が正しい。

【意味】西へ行く。西へ進む。西に向かう。

「移動や方向」を表す、あるいはその動作を示す。

【解説】

<概略>

名詞(方角)に動詞化の接尾辞「す」がついたサ行変格活用(サ変)動詞。

「活用形」という観点からは、文脈によって未然・連用・終止・連体・已然・命令のいずれにも変化する。

<文法的な仕組み>

漢文では「東」「西」などの名詞がそのまま動詞として使われる(名詞の動詞化)ことがよくある。
これを日本語(古文)に訳し下す際、名詞に「~する」を意味する助動詞・接尾辞の「す」をくっつけてサ変動詞として処理する。

<実際の活用(古文のサ変と同様)>

例えば「西す(にし‐す)」の場合、以下のように活用する。

未然形:西せ(ず) / 西し(む)
連用形:西し(たり)
終止形:西す
連体形:西する(とき)
已然形:西すれ(ば)
命令形:西せよ

漢文の書き下し文で「西す」とあれば終止形、「西すれば」とあれば已然形、「西して」とあれば連用形になる。

【文例】

きふへいきて西にししてしんて、と。項梁かうりやうすなわ八千人はつせんにんもつかうわたりて西にし。」<p.426>

また項羽かううひがしする意無いなきをしめす。」<p.538>

項羽かうう、おおいにいかり、きたしてせいつ。」<p.539>

項羽かうう漢王かんわうえんりとき、はたしてへいきてみなみ。」<p.550>

〔出典〕『新釈漢文大系 第39巻』「史記二(本紀二)」-「項羽本紀第七」
著者:吉田賢抗 出版社:明治書院 出版年月日:昭和48年4月25日初版

刀圭(とうけい)とは

刀圭

【読み】とうけい

【意味】

薬を調合するさじを指し、転じて医術や医者を意味する。
刀圭は、もともと「刀」の形をしていて「さじ(圭)」の役割を果たす道具から来ている。
主に「刀圭家とうけいか」(=医者)の形で使われる。
類語には「薬匙やくし」がある。
時代小説のタイトルや、医療法人の名前に見られる知的で古風な表現です。

〔出典〕『竹園の漢詩人 伊藤冠峰』 編著者:村瀬一郎  発行所:冠峰先生顕彰研究会 刊行日:1993年11月8日 p.78

【文例】

これイテ、吉之モこころ飛奮ひふんシ、刀圭とうけいなげうチ、高堂こうどう拝辞はいじシテ、一剣一嚢いっけんいちのうモテ飄然ひょうぜんトシテ西にしス。

〔出典〕同上

〇高堂(こうどう)・・・両親のこと。

〇一剣一嚢(いっけんいちのう)・・・剣士や旅人が、剣一振りと身の回りのものを入れた袋(嚢)一つだけで旅をする、質素で軽快な様子、または世俗の執着を持たない清廉な心境を表す。

〇拝辞(はいじ)・・・相手からの依頼や誘い、申し出を「謹んで断る」という意味の謙譲語。

どりや袍とは

どりや袍(うわぎ)/どりあぼう/ドーリア袍(うわぎ)

フランス詩人のジュール・ラ・フォルグ作『月光』の一節に「どりあ袍」とある。一体どんな衣裳か。

【要約】ドーリア人の男性が着ていた外套がいとうで、次のA図の様に片方の肩でめるクラミス(マント)と思われる。

クラミス。ドーリア式マント(外套)

クラミス(Chlamyde[kla-mid])とは、古代ギリシャのドーリア式キトンの一種で、男性が戸外で着た短い外套(マント)のこと。普通、右肩で留めているが、左肩で留めるものもある。

〔出典〕『小学館ロベール仏和大辞典』 小学館 1988年12月10日初版

ドーリア式キトンの女性の着方は、B図の様な両肩を留めるものを指す。

ドーリア式キトン

註:キトン・・・古代ギリシャで男女が着用した衣服の総称。

ドーリア式キトンの男性の着方は、片方の肩で留めるのが主流だが、女性と同様両肩で留める着方もあった。
男性の着丈きたけ腿丈ももたけ(膝上まで)が多く、女性の着丈はくるぶしまでの長いものが多い。

外套がいとうは男女ともにヒマティオンと呼ばれるウール(羊毛)の一枚布を身に着けていた。後にリネン(亜麻布あまぬの)が主流となった。

短いヒマティオンはクラミス(A図)ともいい、旅人や羊飼いが好んで着た。

〔出典〕『服装大百科事典 上巻』 文化出版局 1986年6月30日増補版

【結論】

『月光』の「どりあ袍」の原文は「chlamyde très-dorique」と書かれている。

直訳すると「ドーリア式クラミス(外套、マント)」となる。

従って、「どりあうわぎ」とは、古代ギリシャから伝わるドーリア式キトンの一種。羊毛の一枚布を膝上までの長さで身体に巻き付け、片方の肩で留める短い外套(マント)のこと。即ち、A図と想像される。

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【参考】

クラミス(ドリア式マント) クラミス再現  クラミスを纏った像

【参照】

上田敏・訳の『月光』より抜粋

どりやうわぎ甲斐甲斐かいがいしくも、きりりと羽織はおつたお月さま、
愛のひえきつた世でござる、何卒どうぞえびらの矢をとつて」

月が矢を射る この図は眉雪がAIで作った想像図です。

〔出典〕『訳詩集 牧羊神』(改造文庫)
著者:上田敏 出版者:改造社 出版年月日:1941年4月27年 p.54『月光』

【原文】

Clair de lune

O Diane à la chlamyde très-dorique,
L’Amour cuve, prend ton carquois et pique

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【追記】

〇ドーリア人/ドーリス人(Dorieis)

古代ギリシャ人の一種族。ミケーネ時代にギリシャ本土の北辺エペイロスとマケドニア南西部に住み、ドーリス方言を話し、ヒレイス、ディマネス、パンフィロイノ三部族からなる氏族制度により組織されていた。ミケーネ王国の崩壊に乗じて紀元前1125年頃から南下を始め、中部のギリシャのドーリス地方を経て、前10世紀のなかば頃までにペロポネソス半島の大部分を征服。アッティカへの侵入には失敗したが、前10~前9世紀にクレタ島以下エーゲ海南部の島々と小アジアのドーリス地方に植民した。

なお、我が国では「ドーリア人」とも呼ばれるが、「ドーリア」というギリシャ語はなく「ドーリス人」を意味する英語の Dorians に由来するものと考えられる。

〔出典〕『日本大百科全書』(17) 小学館

〇ペロネ(ペロナイ)、フィブラ

古代ギリシャ語のペロネ(ペロナイ)は、肩の留め具として用いられたピンやブローチのこと。ラテン語圏ではフィブラとも呼ばれる。
現在の安全ピンの原型となった。
素材は、主に青銅や金で作られ、装飾的なブローチの役割も果たしていた。
衣服を肩で固定し、優雅なドレープを作るために不可欠なアイテムだった。

ペロネ、フィブロの画像

〇袍
部首:衣部(衤:ころもへん)
画数:10画
音読み:ホウ、ボウ
訓読み:うわぎ、ぬのこ、わたいれ
意味:①わたいれ。ぬのこ。②下着。ふだん着。

「子一章」作・顧況

「子一章」(本来「囝一章」)  作・顧況

約1200年前のチャイナ、びんの地方では、子供が生まれると、役人はこれをとらえ、なんと、卑劣ひれつにも去勢きょせいしてしまう。
それを自分の奴隷どれいとし、かねかせて、家中かちゅうに何人も置く。頭髪とうはつり落とし、首枷くびかせめ、まるで草木くさきを扱うようなむごさ。

残酷ざんこくだな~、と耳をふさぎたくなるが、今のチャイナは、地方の子供を拉致らちし、臓器ぞうきを抜くのである。

縦書きのPDFで「子一章」を読んで下さい。

飢涎(きせん/きぜん)とは

飢涎

【読み】きせん/きぜん

【意味】

飢えた者がよだれを垂らして食物を欲しがるように、ひどく羨ましがること。垂涎に同じ。

〔出典〕『竹園の漢詩人 伊藤冠峰』 編著者:村瀬一郎  発行所:冠峰先生顕彰研究会 刊行日:1993年11月8日 p.78

【文例】

しこウシテ田子晋ハ飢涎きせんシテとどマラズ、子柏ノかえルニ及ビ、ついニ之卜ともニ行ク。

〔出典〕同上

「双竜の紫気斗間に逼る」とは

双竜の紫気斗間に逼る

【読み】そうりゅうの しき とかんに せまる

【意味】二匹の龍が放つ紫気が、天の川(獅子座の柄杓ひしゃくの辺り)に向って昇って行く様子。

【出典】『下谷叢話』岩波文庫 2000年9月14日初版 p26

松隠しょういんが兄・大沼竹渓ちくけいに送った手紙の中の一文「双竜ノ紫気ほとんド斗間ニ逼ル」。

 

【故事】「延平化龍」

双竜の紫気斗間に逼る

【『下谷叢話』で引用された比喩的意味】

竹渓は鷲津幽林わしづゆうりんの長男として生まれながら、わずか十歳で大沼家へ養子として家を出た。理由は不仲説が考えられる。ところが、実父・幽林が病床にあった晩年、竹渓は何度も実家を訪れている。

そして、父亡き後、竹渓は実弟・松隠をして幽林の詩稿を編輯へんしゅうせしめ、これを菊池五山に示して批評をうた。五山は幽林父子(幽林と竹渓)の略伝とその作二、三首をってこれを『五山堂詩話』に掲げた。当時五山に採録せられることは非常なる名誉であった。松隠は兄・竹渓から送られた手簡と『五山堂詩話』とを受取り、大変感激し、漢文の手紙を兄へ送った。

この手紙に前掲の「双竜ノ紫気殆ド斗間ニ逼ル」の一文がある。

この意味は二つある。

一つは、「地中に埋もれていた父上の素晴らしい詩稿しこう(=宝剣)を、兄さんが見事に発掘して『五山堂詩話』という天下の晴れ舞台に載せた。その結果、隠されていた宝の光(紫気)が天に届くほど眩しく輝き、世に知れ渡ることになった」と、兄の功績を宝剣の発見になぞらえて絶賛している。即ち、優れた才能は必ず開花する、という隠喩。

もう一つは、幼い兄と父は別れたが、「父上の遺されし偉大な学問と詩才の家業を、兄さんが見事に受け継ぎ、二人は終合しゅうごうした。」と、二人の和解を喜んでいる。即ち、雌雄は再会する(この場合は、幽林父子)という隠喩。

この二つの意味を「双竜の紫気」は表現しているのではないか、と、思う。