「鼎の軽重を問う」とは

鼎の軽重を問う

【読み】かなえの けいちょうを とう

【意味】
「鼎」とは、古代中国で物を煮るのに使われた三本足の青銅器で、天子の権威の象徴でもある。その「鼎」の重さを尋ねること。

【真意】
「鼎」は王権や権威をの象徴なので、「重さを尋ねる」とは「王に相応しい実力があるか?」と、失礼な質問をしていることなのだ。
すなわち、相手をあなどっているのである。
てんじて、相手を威嚇いかくし、地位を奪う姿勢を示しているのだ。

【眉雪の補説】
現代的にたとえると、相手の国王に対して、

「お前の指輪のダイヤモンドは、何カラットだ?いくらした?」と問う。

もし大きなダイヤの場合、

「えっ!20カラット?それじゃあ、お前の細い指には重過ぎる。似合にあわんな。俺の太い指なら似合う」

と、答える。

反対に、軽い小さなダイヤの場合、

「えっ!3カラット?ははは、なんだ小さいなあ。買うかねが無いのか?それでも国王がめる指輪か?俺ならもっと大きなダイヤが買えるぞ」

と、どちらにしても馬鹿にする。

と、まあ、こんな感じの意味である。

【故事】楚の荘王が天下を統一しようと、周の天子の権威の象徴である「九鼎きゅうてい」の重さを尋ねた。

【出典】『春秋左氏伝』宣公三年

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【原文】

楚子伐陸渾之戎、遂至于雒、觀兵于周疆。定王使王孫滿勞楚子。楚子問鼎之大小輕重焉

【読み下し文】

楚子そし陸渾りくこんじゅうち、ついらくいたり、兵をしゅうさかいしめす。
定王ていおう王孫満おうそんまんをして楚子そしねぎらわしむ。楚子、かなえ大小軽重だいしょうけいちょうを問う。

【語彙説明】

楚子(そし)・・・楚の荘王。
陸渾(りくこん)・・・地名。河南省陸渾県。
戎(じゅう)・・・異民族の蔑称。
雒(らく)・・・洛水らくすいという川の名。
疆(さかい)・・・国境。
観(しめ)す・・・威力を示す。
定王(ていおう)・・・周の天子。
王孫満(おうまんそん)・・・周の大夫たいふ

子嬰の諫言を無視した愚帝・胡亥

チャイナの始皇帝が崩御して、二世皇帝・胡亥こがいが即位した。

胡亥は、幼い頃から教育係だった宦官・趙高ちょうこう傀儡かいらいだった。

趙高は、前皇帝の腹心の将軍や高官を悉く粛清する様、胡亥に吹き込んだ。

その成り行きを見ていた甥の子嬰しえいは、胡亥に諫言かんげんした。

「いけません。かつて、趙王遷は良将の李牧を殺して顔聚を用い、燕王喜は荊軻の計略を用いて秦との盟約に背き、斉王建(田建)は代々の忠臣を殺して后勝の意見を用いました。この三人の君主は、皆、古来のやり方を変えて、国を失い、
災いはその身まで及んだのです。蒙氏(蒙恬・蒙毅)は秦の大臣であり忠臣(謀士)であります。それなのに、主(胡亥)が一朝にして彼らを捨て去ろうと望んでおられるのであれば、私はよろしくないと考えております。私は、『思慮が足りないものは国を治めることができず、独りよがりなものは君主を保つことができない』という言葉を聞いております。
忠臣を誅殺し、節操が無い人物(趙高のこと)を取り立てれば、朝廷のうちでは群臣たちがお互いを信じることができなくなり、外地では戦士たちの心が秦王朝から離れてしまいます。」

そして、やがて我が国(秦)は亡びるでしょう、と結んだ。

しかし、胡亥は聞き入れず、大将軍・蒙恬もうてんと軍師・蒙毅もうきを亡き者にした。

当然ながら、国軍は弱体化し、他国(項羽など)に攻められ防ぎ切れなくなった。

そうなって、胡亥は趙高の責任を追及したが、なんと、趙高に殺されてしまった。

ねえ~、愚かですねえ~

チャイナ史上、胡亥は一番愚かな皇帝と称されています。

しかし、この記録を塗り替える、更に阿呆な独裁者が、今の時代に居ます。

はい!ご存知、習近平です!

あははは

習近平は、昨年から今年1月にかけて、中央軍事委員会の7名うち、5名を解任した。

理由は、汚職や軍事機密漏洩ですが、これは上辺の名目で、真意は、自分の意に染まぬから。

ねえ!

ソックリでしょう!趙高と!

歴史を勉強しなかったんですかねえ~

本当に信じられないくらい、愚かですね。

チャイナは昔からヤクザ国家ですから、一度、崩壊して、まともな政治家の出現を待つしかありませんね。

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【子嬰の諫言 原文と読み下し文と通釈】

史記「蒙恬列伝」 子嬰の胡亥への諫言PDF

故世(こせい)とは

故世

【読み】こせい

【意味】先代、旧世代のこと。

【四字熟語】

故世忠臣

〔読み〕こせい‐ちゅうしん

〔意味〕先代の君主の時代から仕え、長年にわたって忠誠を尽くしてきた功臣・良臣のこと。

〔故事〕秦の始皇帝に仕えて蒙恬もうてん蒙毅もうきが、二世皇帝・胡亥こがいによって殺されそうになった際、子嬰しえいが二世皇帝をいさめるために用いた言葉。

子嬰は「故趙王遷ちょうおうせんがその良臣・李牧りぼくを殺して顏聚がんしゅうを用い、燕王喜えんおうき荊軻けいかの計略を密かに用いて秦との約束にそむき、斉王建せいおうけんがその故世忠臣こせいちゅうしんを殺して后勝こうしょうを用いた。この三君は、皆その国を失った」と説いた。

これは、奸臣かんしん讒言ざんげんを聞き入れ、忠臣を殺し国家の基盤を崩す愚かな行為だと警告したもの。

日本弓の読み方

日本弓

【読み】にほんきゅう、にっぽんきゅう

註:参照した長野県弓道連盟の『弓道教本』では「にほんきゅう」とのみ記されており、「にっぽんきゅう」は小生眉雪が加えました。

【解説】

日本弓(和弓わきゅうとも呼び、こちらが一般的な様だ)とは、日本の弓道きゅうどう弓術きゅうじゅつおよびそこで使用される長弓ながゆみを指す。

日本弓とは洋弓ようきゅう(アーチェリーの弓)に対する語で、昔の日本では「弓」と言えば日本弓であった。
(「日本そば」が「支那そば」(ラーメン)に対する語と同じ。本来、日本国内では「そば」だけで良い。)

日本弓の特徴は、二点ある。
長さが2m以上もある長弓ながゆみであるということ、弓幹ゆがらの中央よりも下を握って使用すること、の二点である。

日本弓は、古来、大弓(だいきゅう、おおゆみ)と呼ばれており、全長およそ2m以上のものを指した。

現代では全長は七尺三寸(約221cm)が標準とされている。
これ以外に半弓はんきゅう(六尺三寸、約191cm)や、より短い旅弓たびゆみや遊びで使う楊弓ようきゅうなども存在した。

日本弓の製作には、
弓師(ゆみし)・・・弓を製作する人。
矢師(やし)、やはぎ・・・矢を作る人。
弽師(ゆがけし)・・・手にはめる手袋を作る人。
などの専門職が関与する。

日本では、弓は、歴史的に狩猟しゅりょう戦闘せんとうに使用され、加えて武士の精神的な修行にも深く関わっており、弓道きゅうどうとして残っている。

日本弓とは

【補足】読み方の根據

弓道教本の索引。長野県弓道連盟

鞘当て(さやあて)とは

鞘当て

【読み】さや‐あて

【意味】
1.武士が道で行き違うときに、互いに刀の鞘に触れたのをとがめ、争うこと。「さやとがめ(鞘咎め)」ともいう。転じて、ささいなことからおこるけんか、争い。

鞘当て

2.一人の女性をめぐり二人の男性が争うこと。(註)

〔文例〕「ドラマの大筋は恋の鞘当てだ」

3.歌舞伎の趣向の一つで、二人の武士が鞘を当てたことから争いになるというもの。

元禄10年(1697)江戸中村座上演の「参会名護屋さんかいなごや」が最初で、現在の形は文政6年(1823)江戸市村座上演の「浮世柄比翼稲妻うきよづかひよくのいなづま」の吉原仲の町の場による。

浮世柄比翼稲妻

浮世柄比翼稲妻「鞘当の場」の台詞を縦書きで読む

【註解】(眉雪の空想)

「一人の女性をめぐり二人の男性が争うこと」をなぜ、「鞘当て」と呼ぶか?

ちょっと空想してみた。

抜き身の剣は、男性器を指し、鞘は女性器を指す。よって、その女性の所有を争うということだ。

抜き身の「剣を当てる」とか「剣を争う」と書くと、鍔迫り合いが思い浮かび、剣士の実力を争う意味にほぼ限定される。ユーモアを利かせた隠語で解釈すると、男性器の大きさや硬さを争うことになる。

「鞘を争う」とすると、真面目な場合は、鞘の装飾を争うのか、と想像される。ユーモアを利かせた隠語で解釈すると、女同志が壷(女性器)の良し悪しを争うことになりそう。

「鞘当て」は往来で互いの鞘が触れて喧嘩になることだが、ユーモアを利かせた隠語で解釈すると、「一人の女性の壷の取り合い」だと腑に落ちる。

「お前、その鞘は俺の鞘だぞ!返せ!」

「何を!この鞘は昔から俺のもんだ!」

と、争う。なんて、空想してしまう。あははは

なるほど上手い表現だ。(笑)

歌舞伎の演目にもなっている。往来で互いの鞘が触れた者同志が旧知の間柄だった上に、お茶屋の馴染みの女性も同じだった。どちらも「鞘当て」と言う設定だ。完全にユーモアのみで構成された話だろう。一度観劇に行こうかしら(笑)

茅屋(ぼうおく)とは

茅屋

【読み】ぼう‐おく

【意味】
1.草ぶきの屋根の家。
2.みすぼらしい家。あばらや。また、自分の家をへりくだっていう語。

茅屋/萱屋

【読み】かや‐や

【意味】茅葺かやぶきの屋根や家。

茅屋、茅舎

【類義語】

茅舎(ぼうしゃ)・・・茅葺き屋根の家。茅屋とほぼ同じ意味。
掘立小屋(ほったてごや)・・・柱を地面に直接立てて作った粗末な小屋のこと。
廬(いおり)・・・質素な家、小屋のこと。
バラック・・・仮設の建物や粗末な建物を指す。
ぼろ屋(ぼろや)・・・設備が古く、粗末な家を指す。
あばら家(あばらや)・・・破損がひどく、見すぼらしい家を指す。
陋屋(ろうおく)・・・狭く、粗末な家を意味する。
陋居(ろうきょ)・・・狭く、粗末な住居を指す。

外套(がいとう)とは

外套

【読み】がいとう

【意味】防寒・防水などのために服の上から着るゆったりした外衣で、一般的に「コート」や「オーバー」と呼ばれる。

現代では「コート」という言葉が定着しているが、昔は「外套」という呼び方で定着していた。

男性用コート

〇バルマカーンコート(Balmacaan Coat)/ステンカラーコート
スコットランドの地名に由来する、「後方が高く、前方に向かって低い状態で折り返す襟」が特徴。日本では「ステンカラーコート」(和製英語)と呼ばれる。
シンプルで着回しのきくクラシックなアウターとして知られている。
ラグランスリーブ(肩の縫い目がない袖)を持つものが一般的です。

〇チェスターフィールドコート (Chesterfield Coat)
丈はやや長めが基本であり、膝程度が一般的で、見た目はフロックコートや背広に近い。19世紀に英国の「チェスターフィールド伯爵」が初めて着用したことに由来する。

〇ブッシュコート(Bush Coat)
二つの意味がある。一つは、カナダの森林労働者が着ていた厚手のウール地のコート。もう一つは、サファリジャケット(ブッシュジャケット)の異称。
ブッシュコートは、もともとアフリカの草原地帯での狩猟(サファリ)のために考案された衣服。そのため、機能性や丈夫さを重視したデザインが特徴で、1960年代以降、タウンウエアとしても普及した。

〇マッキントッシュ(Mackintosh Coat)
1823年創業の英国を代表するアウターウェアブランドで、「ゴム引きコート」が特徴。「ゴム引きコート」は、生地の間に天然ゴムを塗り圧着した防水布を使用したもので、ロンドンの雨天対策のために開発された。
現在では、この伝統製法を守りつつ、トレンチコートやダッフルコートなど様々なアイテムを展開している。

〇インバネスコート(Inverness Coat)
スコットランドのインバネス地方に由来する、長い丈のコートに肩を覆うケープが付いた外套。
丈の長いコートに、ケープを合わせたデザイン。コート部分に袖のあるものと無いものがある。日本では明治時代に伝わり、和服の大きな袖を邪魔しない実用性の高さから、和服用として「とんび」や「二重回し」などと呼ばれて流行した。

〇リーファーコート(Reefer Coat)
元々は帆船上の帆を巻き上げる水夫(reefer)が着用した、厚手のウール素材で作られた防寒用のショートコートを指す。
現在は、ピーコート(Pコート)に似た、ダブルブレスト(両前)仕立ての防寒コートを指す言葉として使われることもあり、
特に丈が長めでエレガントな雰囲気を持ち、洗練された印象を与えるコートを指すことが多い。

〇トレンチコート(Trench Coat)
「トレンチ」とは「塹壕(ざんごう)」を意味し、第一次世界大戦中にイギリス軍が塹壕で着用していた防水性の高い軍用コートに由来する。
デザインの特徴として、ダブルブレストの前開き、エポレット(肩章)、ガンフラップ(雨除けの当て布)、ウエストを絞るベルトなどがある。
現在では、機能性とファッション性を兼ね備えた定番のファッションアイテムとして、男女問わず広く親しまれている。
素材は、綿のギャバジン(綾織り生地)が伝統的。

〇アルスターコート(Ulster Coat)
アルスターコートとは、北アイルランドのアルスター地方に由来する、厚手の生地で作られたロング丈のオーバーコートです。
大きな襟(アルスターカラー)やダブルブレスト、バックベルトなどが特徴で、トレンチコートの原型とも言われています。

燈籠/灯篭(とうろう)とは

燈籠とは、蝋燭や油で点けた火を四方で囲って保護するための道具です。
東アジアから広まった照明器具である燈籠は、飛鳥時代に仏教と共に伝わりました。
仏教においてともしびは仏様の慈悲の心を示すと言われ、闇夜やみよを照らし邪気を払う神聖なものです。

註:「灯」は「燈」の新字体。

「燈の籠」という名の通り、燈籠は神聖な灯を囲み、消えないように風から守る役割を果たします。

燈籠はやがて寺社の献灯用に屋外に設置され、素材も紙を貼った木枠から、石や銅など堅牢なものが使われるようになった。
現在でも各地のお寺や神社で石灯篭や吊り下げ燈籠といった多種多様な燈籠を見ることが出来、火袋に寺社の紋や植物、動物などが名入れされているものもあります。
長い歴史を持つ燈籠は、時代が変わるにつれて行燈そして提燈へと分化していきました。

色々な燈籠

行燈/行灯(あんどん)とは

行燈は和紙を張った枠組みで光源を囲み、明かりが消えないように設計された照明器具です。
禅宗の伝来と共にチャイナから伝わった行燈は、当初は持ち歩くものだったので「行」の字にあかりを意味する「燈(灯)」で行燈と名付けられました。

註:「灯」は「燈」の新字体。

行燈も提燈と同様に江戸時代に普及した照明器具の一つで、こちらは屋内用に使われました。
当時は菜種油なたねあぶら魚油ぎょゆを火皿に注ぎ、木綿などに点火してともしました。

色々な行燈