闇主虐后(あんしゅぎゃくごう)とは

闇主虐后

【読み】あんしゅ-ぎゃくごう

【意味】暗愚な皇帝と淫虐な皇后。

〇暗愚(あんぐ)・・・道理がわからず、物事の是非を正しく判断する力がない、愚かな様子やその人物のこと。

〇淫虐(いんぎゃく)・・・① 行ないがみだらで、そのうえ残虐なこと。はなはだしく残虐なこと。② 肉欲にふけること。

【典拠】

題:「龍逢板出 張華台坼」より一部抜粋

闇主虐后の朝に當たると雖も、而も、海内晏然たるは華の功なり。

参照:『新釈漢文大系』第59巻「蒙求(下)」 明治書院 1973年10月12年発行

詳しく知りたい方は縦書きのPDF「闇主虐后」を読んで下さい。

仈(まら)とは

仈

【読み】まら

【意味】男性器の隠語。秘語。男根。ペニス。

タイトルの「仈」は、実際に有る漢字で、便宜上使用した。(下記に詳細)

本来の合字は人偏にカタカナの「ハ」で漢数字の「八」ではない。

まら(男性器の隠語)←JPEG画像で表示しています。

そもそも、人偏かどうかも怪しい。合字とは言っても、江戸時代の隠語なので、正式な合字一覧には載っていない。謂わば、秘密の字。

【参照】

朝仈 ASAMARA
秘語。朝起きた際の起陽のことで、若い健康体の証拠とさえ云われている位の常態なのであるが、老年者には最早この気力は失われるし、満喫後に於てはこの起陽の見られないこともあるので、遊里秘語では「鼻つまみ」などのこともある。
小咄本「さしまくら」には、息子が朝起きて小便している所を親仁が見て「今時の若い者は意気地がない」という滑稽な話が載っている。

『江戸秘語事典』 一九九三年六月六日 第一刷発行
著者:中野栄三 発行所:(有)慶友社

【参考】

タイトルで使っている「仈」
部首:人部(亻 にんべん)
総画数:4画(偏2+旁2)
音読み:ハチ、ハツ
意味 :姓に用いる字
漢字検定:配当外
Unicode:U+4EC8

奔箭(ほんせん)とは

奔箭

【読み】ほんせん

【意味】飛とび行ゆく箭や。

【文例】年光不停、如奔箭下流水。(太平記、六、民部卿三位局御夢想事)

【出典】『大漢和辞典 巻三』 大修館書房

縦書きのPDFで奔箭を読んで下さい。

読み下しの仕方「東す」「西す」「南す」「北す」

はじめに

漢文の訓読において、「東(ひがし)ス」「西(にし)ス」「南(みなみ)ス」「北(きた)ス」とある。

ちょっと違和感のあるこの読み方を調べてみた。

「西す」を例にして解説する。

西す

【読み】にし-す

註:「セイ-す」と読んでしまいそうだが、「にし-す」が正しい。

【意味】西へ行く。西へ進む。西に向かう。

「移動や方向」を表す、あるいはその動作を示す。

【解説】

<概略>

名詞(方角)に動詞化の接尾辞「す」がついたサ行変格活用(サ変)動詞。

「活用形」という観点からは、文脈によって未然・連用・終止・連体・已然・命令のいずれにも変化する。

<文法的な仕組み>

漢文では「東」「西」などの名詞がそのまま動詞として使われる(名詞の動詞化)ことがよくある。
これを日本語(古文)に訳し下す際、名詞に「~する」を意味する助動詞・接尾辞の「す」をくっつけてサ変動詞として処理する。

<実際の活用(古文のサ変と同様)>

例えば「西す(にし‐す)」の場合、以下のように活用する。

未然形:西せ(ず) / 西し(む)
連用形:西し(たり)
終止形:西す
連体形:西する(とき)
已然形:西すれ(ば)
命令形:西せよ

漢文の書き下し文で「西す」とあれば終止形、「西すれば」とあれば已然形、「西して」とあれば連用形になる。

【文例】

「急きふに兵へいを引ひきて西にしして秦しんを擊うて、と。項梁かうりやう、乃すなわち八千人はつせんにんを以もつて江かうを渡わたりて西にしす。」<p.426>

「亦また、項羽かううに東ひがしする意無いなきを示しめす。」<p.538>

「項羽かうう、おおいに怒いかり、北きたして齊せいを擊うつ。」<p.539>

「項羽かうう、漢王かんわう、宛えんに在ありと聞きき、果はたして兵へいを引ひきて南みなみす。」<p.550>

〔出典〕『新釈漢文大系 第39巻』「史記二(本紀二)」-「項羽本紀第七」
著者:吉田賢抗 出版社:明治書院 出版年月日:昭和48年4月25日初版

刀圭(とうけい)とは

刀圭

【読み】とうけい

【意味】

薬を調合するさじを指し、転じて医術や医者を意味する。
刀圭は、もともと「刀」の形をしていて「さじ(圭)」の役割を果たす道具から来ている。
主に「刀圭家とうけいか」(=医者)の形で使われる。
類語には「薬匙やくし」がある。
時代小説のタイトルや、医療法人の名前に見られる知的で古風な表現です。

〔出典〕『竹園の漢詩人 伊藤冠峰』 編著者:村瀬一郎  発行所:冠峰先生顕彰研究会 刊行日:1993年11月8日 p.78

【文例】

是これに於おイテ、吉之モ神こころニ飛奮ひふんシ、刀圭とうけいヲ擲なげうチ、高堂こうどうニ拝辞はいじシテ、一剣一嚢いっけんいちのうモテ飄然ひょうぜんトシテ西にしス。

〔出典〕同上

〇高堂(こうどう)・・・両親のこと。

〇一剣一嚢(いっけんいちのう)・・・剣士や旅人が、剣一振りと身の回りのものを入れた袋(嚢)一つだけで旅をする、質素で軽快な様子、または世俗の執着を持たない清廉な心境を表す。

〇拝辞(はいじ)・・・相手からの依頼や誘い、申し出を「謹んで断る」という意味の謙譲語。

どりや袍(うわぎ)とは

どりや袍(うわぎ)/どりあぼう/ドーリア袍(うわぎ)

フランス詩人のジュール・ラ・フォルグ作『月光』の一節に「どりや袍」とある。一体どんな衣裳か。

【要約】ドーリア人の男性が着ていた外套がいとうで、次のA図の様に片方の肩で留とめるクラミス(マント)と思われる。

クラミス。ドーリア式マント(外套)

クラミス(Chlamyde[kla-mid])とは、古代ギリシャのドーリア式キトンの一種で、男性が戸外で着た短い外套(マント)のこと。普通、右肩で留めているが、左肩での留め方もある。

〔出典〕『小学館ロベール仏和大辞典』 小学館 1988年12月10日初版

因ちなみに、肩で留める装飾具を「ペロネ」と呼び、御洒落おしゃれを競ったのだろう。

ドーリア式キトンの女性の着方は、B図の様な両肩を留めるものを指す。

ドーリア式キトン

註:キトン・・・古代ギリシャで男女が着用した衣服の総称。

ドーリア式キトンの男性の着方は、片方の肩で留めるのが主流だが、女性と同様両肩で留める着方もあった。
男性の着丈きたけは腿丈ももたけ(膝上まで)が多く、女性の着丈は踝くるぶしまでの長いものが多い。

外套がいとうは男女ともにヒマティオンと呼ばれるウール(羊毛)の一枚布を身に着けていた。後にリネン(亜麻布あまぬの)が主流となった。

短いヒマティオンはクラミス(A図)ともいい、旅人や羊飼いが好んで着た。

〔出典〕『服装大百科事典 上巻』 文化出版局 1986年6月30日増補版

【結論】

『月光』の「どりや袍」の原文は「chlamyde très-dorique」と書かれている。

直訳すると「ドーリア式クラミス(外套、マント)」となる。

従って、「どりや袍うわぎ」とは、古代ギリシャから伝わるドーリア式キトンの一種。羊毛の一枚布を膝上までの長さで身体に巻き付け、片方の肩で留める短い外套(マント)のこと。即ち、A図と想像される。

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【参考】

クラミス(ドリア式マント) クラミス再現  クラミスを纏った像

【参照】

上田敏・訳の『月光』より抜粋

「どりや袍うわぎを甲斐甲斐かいがいしくも、きりりと羽織はおつたお月さま、
愛の冷ひえきつた世でござる、何卒どうぞ箙えびらの矢をとつて」

月が矢を射る この図は眉雪がAIで作った想像図です。

〔出典〕『訳詩集 牧羊神』(改造文庫)
著者:上田敏 出版者:改造社 出版年月日:1941年4月27年 p.54『月光』

【原文】

Clair de lune

O Diane à la chlamyde très-dorique,
L’Amour cuve, prend ton carquois et pique

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【追記】

〇ドーリア人/ドーリス人(Dorieis)

古代ギリシャ人の一種族。ミケーネ時代にギリシャ本土の北辺エペイロスとマケドニア南西部に住み、ドーリス方言を話し、ヒレイス、ディマネス、パンフィロイノ三部族からなる氏族制度により組織されていた。ミケーネ王国の崩壊に乗じて紀元前1125年頃から南下を始め、中部のギリシャのドーリス地方を経て、前10世紀の半なかば頃までにペロポネソス半島の大部分を征服。アッティカへの侵入には失敗したが、前10~前9世紀にクレタ島以下エーゲ海南部の島々と小アジアのドーリス地方に植民した。

なお、我が国では「ドーリア人」とも呼ばれるが、「ドーリア」というギリシャ語はなく「ドーリス人」を意味する英語の Dorians に由来するものと考えられる。

〔出典〕『日本大百科全書』(17) 小学館

〇ペロネ(ペロナイ)、フィブラ

古代ギリシャ語のペロネ(ペロナイ)は、肩の留め具として用いられたピンやブローチのこと。ラテン語圏ではフィブラとも呼ばれる。
現在の安全ピンの原型となった。
素材は、主に青銅や金で作られ、装飾的なブローチの役割も果たしていた。
衣服を肩で固定し、優雅なドレープを作るために不可欠なアイテムだった。

ペロネ、フィブロの画像

〇袍
部首:衣部(衤:ころもへん)
画数:10画
音読み:ホウ、ボウ
訓読み:うわぎ、ぬのこ、わたいれ
意味:①わたいれ。ぬのこ。②下着。ふだん着。

「子一章」作・顧況

「子一章」(本来「囝一章」)  作・顧況

約1200年前のチャイナ、閩びんの地方では、子供が生まれると、役人はこれを捕とらえ、なんと、卑劣ひれつにも去勢きょせいしてしまう。
それを自分の奴隷どれいとし、金かねに飽あかせて、家中かちゅうに何人も置く。頭髪とうはつを剃そり落とし、首枷くびかせを嵌はめ、まるで草木くさきを扱うような酷むごさ。

残酷ざんこくだな~、と耳を塞ふさぎたくなるが、今のチャイナは、地方の子供を拉致らちし、臓器ぞうきを抜くのである。

縦書きのPDFで「子一章」を読んで下さい。

飢涎(きせん/きぜん)とは

飢涎

【読み】きせん/きぜん

【意味】

飢えた者がよだれを垂らして食物を欲しがるように、ひどく羨ましがること。垂涎に同じ。

〔出典〕『竹園の漢詩人 伊藤冠峰』 編著者:村瀬一郎  発行所:冠峰先生顕彰研究会 刊行日:1993年11月8日 p.78

【文例】

而しこウシテ田子晋ハ飢涎きせんシテ禁とどマラズ、子柏ノ還かえルニ及ビ、遂ついニ之卜偕ともニ行ク。

〔出典〕同上

「双竜の紫気斗間に逼る」とは

双竜の紫気斗間に逼る

【読み】そうりゅうの しき とかんに せまる

【意味】二匹の龍が放つ紫気が、天の川(獅子座の柄杓ひしゃくの辺り)に向って昇って行く様子。

【出典】『下谷叢話』岩波文庫 2000年9月14日初版 p26

松隠しょういんが兄・大沼竹渓ちくけいに送った手紙の中の一文「双竜ノ紫気殆ほとんド斗間ニ逼ル」。

 

【故事】「延平化龍」

双竜の紫気斗間に逼る

【『下谷叢話』で引用された比喩的意味】

竹渓は鷲津幽林わしづゆうりんの長男として生まれながら、僅わずか十歳で大沼家へ養子として家を出た。理由は不仲説が考えられる。ところが、実父・幽林が病床にあった晩年、竹渓は何度も実家を訪れている。

そして、父亡き後、竹渓は実弟・松隠をして幽林の詩稿を編輯へんしゅうせしめ、これを菊池五山に示して批評を請こうた。五山は幽林父子(幽林と竹渓)の略伝とその作二、三首を採とってこれを『五山堂詩話』に掲げた。当時五山に採録せられることは非常なる名誉であった。松隠は兄・竹渓から送られた手簡と『五山堂詩話』とを受取り、大変感激し、漢文の手紙を兄へ送った。

この手紙に前掲の「双竜ノ紫気殆ド斗間ニ逼ル」の一文がある。

この意味は二つある。

一つは、「地中に埋もれていた父上の素晴らしい詩稿しこう(=宝剣)を、兄さんが見事に発掘して『五山堂詩話』という天下の晴れ舞台に載せた。その結果、隠されていた宝の光(紫気)が天に届くほど眩しく輝き、世に知れ渡ることになった」と、兄の功績を宝剣の発見に準なぞらえて絶賛している。即ち、優れた才能は必ず開花する、という隠喩。

もう一つは、幼い兄と父は別れたが、「父上の遺されし偉大な学問と詩才の家業を、兄さんが見事に受け継ぎ、二人は終合しゅうごうした。」と、二人の和解を喜んでいる。即ち、雌雄は再会する(この場合は、幽林父子)という隠喩。

この二つの意味を「双竜の紫気」は表現しているのではないか、と、思う。

張華伝「延平化龍」の意味

張華伝「延平化龍」

『晋書しんじょ』張華ちょうか伝の「延平化龍えんぺいかりゅう」の故事をご存じだろうか?

李白りはくや蘇軾そしょくも「双龍」「紫気」「双剣」「斗間」「豊城」などの語彙で引用しているが、この故事が何を表現しているのか、よく解らない。

色々と調べた結果、一つの意味ではないことが判った。
大きく分けて三つの意味または象徴に使われるている、と思われる。

【「延平化龍」の故事】

地中から掘り出された雌雄一対しゆういっついの名剣(龍泉りゅうせん・太阿たいあ)が一度は離れ離れになるものの、最終的に「延平津えんぺいしん」という川で合流し、二匹の龍へと姿を変えて天に去っていくという神秘的な逸話。さらに、双剣は干将かんしょうと莫耶ばくやの夫婦がそれぞれ造ったものなので、転じて恋愛的とも解釈される。

【「延平化龍」の逸話は何を表現しているのか?・・・三つ考えられる】

一つ目の意味「雌雄は再会する」または「あるべき一対は結合する」

この故事で最も強く表現されているのは、「離れ離れになっていた運命の二者が、紆余曲折うよきょくせつを経て最終的に結ばれる」 という象徴です。

元々一対もともといっついの夫婦剣めおとけんであったものが、張華ちょうかと雷煥らいかんという別々の人物に所有されます。しかし、持ち主たちが亡くなった後、剣はまるで自らの意志を持っているかのように川へ飛び込み、合流して龍となりました。

ここから、文学の世界では「離散した夫婦や恋人、あるいは固い絆で結ばれた親友が、時を経て奇跡的な再会を果たすこと」の比喩として使われます。

二つ目の意味「優れた才能は必ず開花する(頭角を現すこと)」

チャイナにおいて「龍」は、天に昇る最高位の瑞獣ずいじゅうであり、「卓越した才能を持つ人物(英雄や俊才)」の象徴です。

剣が水に潜ひそみ、龍となって天へ昇っていく姿は、「どれほど不遇な時代や環境に身を置いていても、本物の才能を持った人物はいずれ時期が来れば、その本領を発揮して世に頭角を現す」ということを表しています。
「臥龍(眠れる龍:諸葛亮孔明)」が天に昇るのと同じように、優れた人物がしかるべき場所で輝く運命にあることを示しています。

また、本物の才能を持った人物は、斗間に向って紫気を放っており、人徳叡智を併せ持つ者には、それが見える。居場所が判る。

三つ目の意味「神物は人間が永遠に所有できないという無常観」

もう一つの深い思想的背景として、「天が授けた神聖な宝(あるいは人智を超えた偉大な才能)は、人間が私欲で永遠に留め置くことはできない」という自然の摂理・天命を表している。

張華という当代随一の博識な政治家であっても、非業の死を遂げたように、人間の権力や命は儚はかない。
人間の都合で所有されていた宝剣が、最後は人間の手を離れて本来の龍という神聖な姿に戻っていく結末は、「俗世の執着を超越し、万物は最終的に自然や天の秩序へと還っていく」という、道教的・神秘主義的な世界観を反映している。

【まとめ】

この「延平化龍」の故事は、単なる空想ではなく、「運命的な絆(再会)」「才能の開花」「天命への回帰」という、人間の生き方やロマンを凝縮した美しい隠喩いんゆとして、後世の詩人たちに愛され、引用され続けた。

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【語彙説明】

〇斗間(とかん)・・・古代チャイナの天文学(星座)における星のグループ、二十八宿にじゅうはっしゅくの一つである「斗宿としゅく」の領域、または現代の星座でいうと「射手座」の北西側(柄杓ひしゃくの柄の先や、天の川の銀河中心付近)を指す。

〔別の説明1〕古代チャイナ星座では、この斗宿(射手座の柄杓の部分)の周辺にある星々や、その間(空間)を「斗間」と呼ぶ。

〔別の説明2〕チャイナの星座(星官)での位置は、二十八宿の「北方玄武七宿」の第一宿である「斗宿」の周辺を「斗間」と呼ぶ。

〔別の説明3〕北斗七星(おおぐま座)の形に似ていることから「南斗六星」とも呼ばれる六つの星の並びが有名で、この「南斗六星」の柄の部分やその周辺を「斗間」と呼ぶ。

星座全体

天の川と南斗六星

射手座と南斗六星

大熊座と北斗七星