刀圭(とうけい)とは

刀圭

【読み】とうけい

【意味】

薬を調合するさじを指し、転じて医術や医者を意味する。
刀圭は、もともと「刀」の形をしていて「さじ(圭)」の役割を果たす道具から来ている。
主に「刀圭家とうけいか」(=医者)の形で使われる。
類語には「薬匙やくし」がある。
時代小説のタイトルや、医療法人の名前に見られる知的で古風な表現です。

〔出典〕『竹園の漢詩人 伊藤冠峰』 編著者:村瀬一郎  発行所:冠峰先生顕彰研究会 刊行日:1993年11月8日 p.78

【文例】

これイテ、吉之モこころ飛奮ひふんシ、刀圭とうけいなげうチ、高堂こうどう拝辞はいじシテ、一剣一嚢いっけんいちのうモテ飄然ひょうぜんトシテ西にしス。

〔出典〕同上

〇高堂(こうどう)・・・両親のこと。

〇一剣一嚢(いっけんいちのう)・・・剣士や旅人が、剣一振りと身の回りのものを入れた袋(嚢)一つだけで旅をする、質素で軽快な様子、または世俗の執着を持たない清廉な心境を表す。

〇拝辞(はいじ)・・・相手からの依頼や誘い、申し出を「謹んで断る」という意味の謙譲語。

どりや袍とは

どりや袍(うわぎ)/どりあぼう/ドーリア袍(うわぎ)

フランス詩人のジュール・ラ・フォルグ作『月光』の一節に「どりあ袍」とある。一体どんな衣裳か。

【要約】ドーリア人の男性が着ていた外套がいとうで、次のA図の様に片方の肩でめるクラミス(マント)と思われる。

クラミス。ドーリア式マント(外套)

クラミス(Chlamyde[kla-mid])とは、古代ギリシャのドーリア式キトンの一種で、男性が戸外で着た短い外套(マント)のこと。普通、右肩で留めているが、左肩で留めるものもある。

〔出典〕『小学館ロベール仏和大辞典』 小学館 1988年12月10日初版

ドーリア式キトンの女性の着方は、B図の様な両肩を留めるものを指す。

ドーリア式キトン

註:キトン・・・古代ギリシャで男女が着用した衣服の総称。

ドーリア式キトンの男性の着方は、片方の肩で留めるのが主流だが、女性と同様両肩で留める着方もあった。
男性の着丈きたけ腿丈ももたけ(膝上まで)が多く、女性の着丈はくるぶしまでの長いものが多い。

外套がいとうは男女ともにヒマティオンと呼ばれるウール(羊毛)の一枚布を身に着けていた。後にリネン(亜麻布あまぬの)が主流となった。

短いヒマティオンはクラミス(A図)ともいい、旅人や羊飼いが好んで着た。

〔出典〕『服装大百科事典 上巻』 文化出版局 1986年6月30日増補版

【結論】

『月光』の「どりあ袍」の原文は「chlamyde très-dorique」と書かれている。

直訳すると「ドーリア式クラミス(外套、マント)」となる。

従って、「どりあうわぎ」とは、古代ギリシャから伝わるドーリア式キトンの一種。羊毛の一枚布を膝上までの長さで身体に巻き付け、片方の肩で留める短い外套(マント)のこと。即ち、A図と想像される。

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【参考】

クラミス(ドリア式マント) クラミス再現  クラミスを纏った像

【参照】

上田敏・訳の『月光』より抜粋

どりやうわぎ甲斐甲斐かいがいしくも、きりりと羽織はおつたお月さま、
愛のひえきつた世でござる、何卒どうぞえびらの矢をとつて」

月が矢を射る この図は眉雪がAIで作った想像図です。

〔出典〕『訳詩集 牧羊神』(改造文庫)
著者:上田敏 出版者:改造社 出版年月日:1941年4月27年 p.54『月光』

【原文】

Clair de lune

O Diane à la chlamyde très-dorique,
L’Amour cuve, prend ton carquois et pique

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【追記】

〇ドーリア人/ドーリス人(Dorieis)

古代ギリシャ人の一種族。ミケーネ時代にギリシャ本土の北辺エペイロスとマケドニア南西部に住み、ドーリス方言を話し、ヒレイス、ディマネス、パンフィロイノ三部族からなる氏族制度により組織されていた。ミケーネ王国の崩壊に乗じて紀元前1125年頃から南下を始め、中部のギリシャのドーリス地方を経て、前10世紀のなかば頃までにペロポネソス半島の大部分を征服。アッティカへの侵入には失敗したが、前10~前9世紀にクレタ島以下エーゲ海南部の島々と小アジアのドーリス地方に植民した。

なお、我が国では「ドーリア人」とも呼ばれるが、「ドーリア」というギリシャ語はなく「ドーリス人」を意味する英語の Dorians に由来するものと考えられる。

〔出典〕『日本大百科全書』(17) 小学館

〇ペロネ(ペロナイ)、フィブラ

古代ギリシャ語のペロネ(ペロナイ)は、肩の留め具として用いられたピンやブローチのこと。ラテン語圏ではフィブラとも呼ばれる。
現在の安全ピンの原型となった。
素材は、主に青銅や金で作られ、装飾的なブローチの役割も果たしていた。
衣服を肩で固定し、優雅なドレープを作るために不可欠なアイテムだった。

ペロネ、フィブロの画像

〇袍
部首:衣部(衤:ころもへん)
画数:10画
音読み:ホウ、ボウ
訓読み:うわぎ、ぬのこ、わたいれ
意味:①わたいれ。ぬのこ。②下着。ふだん着。

「子一章」作・顧況

「子一章」(本来「囝一章」)  作・顧況

約1200年前のチャイナ、びんの地方では、子供が生まれると、役人はこれをとらえ、なんと、卑劣ひれつにも去勢きょせいしてしまう。
それを自分の奴隷どれいとし、かねかせて、家中かちゅうに何人も置く。頭髪とうはつり落とし、首枷くびかせめ、まるで草木くさきを扱うようなむごさ。

残酷ざんこくだな~、と耳をふさぎたくなるが、今のチャイナは、地方の子供を拉致らちし、臓器ぞうきを抜くのである。

縦書きのPDFで「子一章」を読んで下さい。

飢涎(きせん/きぜん)とは

飢涎

【読み】きせん/きぜん

【意味】

飢えた者がよだれを垂らして食物を欲しがるように、ひどく羨ましがること。垂涎に同じ。

〔出典〕『竹園の漢詩人 伊藤冠峰』 編著者:村瀬一郎  発行所:冠峰先生顕彰研究会 刊行日:1993年11月8日 p.78

【文例】

しこウシテ田子晋ハ飢涎きせんシテとどマラズ、子柏ノかえルニ及ビ、ついニ之卜ともニ行ク。

〔出典〕同上

「双竜の紫気斗間に逼る」とは

双竜の紫気斗間に逼る

【読み】そうりゅうの しき とかんに せまる

【意味】二匹の龍が放つ紫気が、天の川(獅子座の柄杓ひしゃくの辺り)に向って昇って行く様子。

【出典】『下谷叢話』岩波文庫 2000年9月14日初版 p26

松隠しょういんが兄・大沼竹渓ちくけいに送った手紙の中の一文「双竜ノ紫気ほとんド斗間ニ逼ル」。

 

【故事】「延平化龍」

双竜の紫気斗間に逼る

【『下谷叢話』で引用された比喩的意味】

竹渓は鷲津幽林わしづゆうりんの長男として生まれながら、わずか十歳で大沼家へ養子として家を出た。理由は不仲説が考えられる。ところが、実父・幽林が病床にあった晩年、竹渓は何度も実家を訪れている。

そして、父亡き後、竹渓は実弟・松隠をして幽林の詩稿を編輯へんしゅうせしめ、これを菊池五山に示して批評をうた。五山は幽林父子(幽林と竹渓)の略伝とその作二、三首をってこれを『五山堂詩話』に掲げた。当時五山に採録せられることは非常なる名誉であった。松隠は兄・竹渓から送られた手簡と『五山堂詩話』とを受取り、大変感激し、漢文の手紙を兄へ送った。

この手紙に前掲の「双竜ノ紫気殆ド斗間ニ逼ル」の一文がある。

この意味は二つある。

一つは、「地中に埋もれていた父上の素晴らしい詩稿しこう(=宝剣)を、兄さんが見事に発掘して『五山堂詩話』という天下の晴れ舞台に載せた。その結果、隠されていた宝の光(紫気)が天に届くほど眩しく輝き、世に知れ渡ることになった」と、兄の功績を宝剣の発見になぞらえて絶賛している。即ち、優れた才能は必ず開花する、という隠喩。

もう一つは、幼い兄と父は別れたが、「父上の遺されし偉大な学問と詩才の家業を、兄さんが見事に受け継ぎ、二人は終合しゅうごうした。」と、二人の和解を喜んでいる。即ち、雌雄は再会する(この場合は、幽林父子)という隠喩。

この二つの意味を「双竜の紫気」は表現しているのではないか、と、思う。

張華伝「延平化龍」の意味

張華伝「延平化龍」

晋書しんじょ張華ちょうか伝の「延平化龍えんぺいかりゅう」の故事をご存じだろうか?

李白りはく蘇軾そしょくも「双龍」「紫気」「双剣」「斗間」「豊城」などの語彙で引用しているが、この故事が何を表現しているのか、よく解らない。

色々と調べた結果、一つの意味ではないことが判った。
大きく分けて三つの意味または象徴に使われるている、と思われる。

【「延平化龍」の故事】

地中から掘り出された雌雄一対しゆういっついの名剣(龍泉りゅうせん太阿たいあ)が一度は離れ離れになるものの、最終的に「延平津えんぺいしん」という川で合流し、二匹の龍へと姿を変えて天に去っていくという神秘的な逸話。さらに、双剣は干将かんしょう莫耶ばくやの夫婦がそれぞれ造ったものなので、転じて恋愛的とも解釈される。

【「延平化龍」の逸話は何を表現しているのか?・・・三つ考えられる】

一つ目の意味「雌雄は再会する」または「あるべき一対は結合する」

この故事で最も強く表現されているのは、「離れ離れになっていた運命の二者が、紆余曲折うよきょくせつを経て最終的に結ばれる」 という象徴です。

元々一対もともといっつい夫婦剣めおとけんであったものが、張華ちょうか雷煥らいかんという別々の人物に所有されます。しかし、持ち主たちが亡くなった後、剣はまるで自らの意志を持っているかのように川へ飛び込み、合流して龍となりました。

ここから、文学の世界では「離散した夫婦や恋人、あるいは固い絆で結ばれた親友が、時を経て奇跡的な再会を果たすこと」の比喩として使われます。

二つ目の意味「優れた才能は必ず開花する(頭角を現すこと)」

チャイナにおいて「龍」は、天に昇る最高位の瑞獣ずいじゅうであり、「卓越した才能を持つ人物(英雄や俊才)」の象徴です。

剣が水にひそみ、龍となって天へ昇っていく姿は、「どれほど不遇な時代や環境に身を置いていても、本物の才能を持った人物はいずれ時期が来れば、その本領を発揮して世に頭角を現す」ということを表しています。
「臥龍(眠れる龍:諸葛亮孔明)」が天に昇るのと同じように、優れた人物がしかるべき場所で輝く運命にあることを示しています。

また、本物の才能を持った人物は、斗間に向って紫気を放っており、人徳叡智を併せ持つ者には、それが見える。居場所が判る。

三つ目の意味「神物は人間が永遠に所有できないという無常観」

もう一つの深い思想的背景として、「天が授けた神聖な宝(あるいは人智を超えた偉大な才能)は、人間が私欲で永遠に留め置くことはできない」という自然の摂理・天命を表している。

張華という当代随一の博識な政治家であっても、非業の死を遂げたように、人間の権力や命ははかない。
人間の都合で所有されていた宝剣が、最後は人間の手を離れて本来の龍という神聖な姿に戻っていく結末は、「俗世の執着を超越し、万物は最終的に自然や天の秩序へと還っていく」という、道教的・神秘主義的な世界観を反映している。

【まとめ】

この「延平化龍」の故事は、単なる空想ではなく、「運命的な絆(再会)」「才能の開花」「天命への回帰」という、人間の生き方やロマンを凝縮した美しい隠喩いんゆとして、後世の詩人たちに愛され、引用され続けた。

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【語彙説明】

〇斗間(とかん)・・・古代チャイナの天文学(星座)における星のグループ、二十八宿にじゅうはっしゅくの一つである「斗宿としゅく」の領域、または現代の星座でいうと「射手座」の北西側(柄杓ひしゃくの柄の先や、天の川の銀河中心付近)を指す。

〔別の説明1〕古代チャイナ星座では、この斗宿(射手座の柄杓の部分)の周辺にある星々や、その間(空間)を「斗間」と呼ぶ。

〔別の説明2〕チャイナの星座(星官)での位置は、二十八宿の「北方玄武七宿」の第一宿である「斗宿」の周辺を「斗間」と呼ぶ。

〔別の説明3〕北斗七星(おおぐま座)の形に似ていることから「南斗六星」とも呼ばれる六つの星の並びが有名で、この「南斗六星」の柄の部分やその周辺を「斗間」と呼ぶ。

星座全体

天の川と南斗六星

射手座と南斗六星

大熊座と北斗七星

「芸」と「藝」について

「芸」と「藝」について

「芸」は元々、草の名前の意味であったが、昭和21年(1946年)9月国語審議会の答申により、「藝」の新字体とされ、読みと意味が加えられた。

文筆家は手書きの原稿や下書きで「藝」の略字として「芸」と書いていたが、編集者や発行所は、校正段階で正字の「藝」に直していた。

ところが、「芸」と「藝」を無理矢理「新字体」として統一すると、「植える」と「る」の正反対の意味が同居することになった。馬鹿げている!

ホント、当時の国語審議会って・・・
いや、今の文部科学省もか。「『くん』は使っちゃあ駄目とか・・・」「時間の3分は『さんぷん』は『さんふん』と言え」とか、本当に気が狂っている。

よって、本来は、統一しちゃあ駄目なんですよ。

こだわりを持つ文筆家は、出版社や新聞社が常用漢字の制限をしてくるから、仕方なしに従っているが、自分の名前や社名など、許される範囲で抵抗している。

例えば「芸術」のときの「芸」は「藝」と書き区別したりする。
文芸春秋社などは『文藝春秋』と表記している。

1.元々の意味の「藝」

【音読】ゲイ
【訓読】う(える)、わざ

①わざ。技術。学問。知識。身につけた技能。

②植(う)える。草木を植える。種をまいて栽培する。

【熟語】文藝、園藝、藝術、藝能、曲藝、安藝あき(地名)

2.元々の意味の「芸」

【音読】ウン
【訓読】くさぎ(る)

①草の名前、ヘンルーダ。ミカン科の多年草。強いにおいがあり、
書物の虫食いを防ぐために用いられる。

②くさぎる。草を刈る。

【熟語】芸帙(ウンチツ)

革故鼎新(かくこていしん)とは

革故鼎新

【読み】かくこ-ていしん

【訓読】

ふるきをあらたあたらしきをる」
「故きを革め新しきにあらたむ」

【意味】

革故・・・古い制度・習慣・価値観を改める。
鼎新・・・新しい制度・仕組み・価値観を打ち立てる。
単なる破壊ではなく、単なる創造でもなく、「こわして、作り直す」 というもの。
現代的な解釈では、イノベーション。

旧悪きゅうあくを除き革新する。
「革去ㇾ故也。鼎取ㇾ新也」(かくふるきを去るなり、かなえは新しきを取るなり)
革卦かくかは旧悪を除去することで、鼎卦ていかは新しいものを取り入れることである。
「鼎」は、生の物を煮て新しい食物にするから「取ㇾ新」という。
(出典『新撰墨場必携』)

【詳細】

易経えききょうの「かく」はとしては 革命・刷新さっしん・脱皮 を象徴しょうちょうする。

てい」は 調理器具のかなえで、「新しい秩序ちつじょ煮固にかためる」という象徴を持つ。

「革故鼎新」は、易経本体の卦辞かじ爻辞こうじではなく、総まとめ的な付録に位置する『雑卦伝ざっかでん』に由来する。

『雑卦伝』は、六十四をの中の二つの卦を取り上げたもので、その中に

第四十九卦「革卦かくか」・・・革命、刷新、脱皮。

第五十卦「鼎卦ていか」・・・新しい秩序を固める。制度を整える。

があり、この二つの卦の関係を一言で表したのが「革故鼎新」。

【出典】

『新撰墨場必携』中央公論社  〔「易経」雑卦伝〕 p.680
『全釈漢文大系』第10巻「易経 下」 p.127-128、p.140

【類義語】

「革旧鼎新(かくきゅうていしん)」
「鼎新革故(ていしんかくこ)」

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【語彙説明】

〇雑卦伝(ざっかでん)・・・易経の「十翼」の一つ。六十四卦の中の二つの卦を取り上げて、その対照的な意味合いを説明している。雑卦伝は「十翼」の中では最も日常に近いものであり、日常的な占いの判断をするにあたっては最も適切であるともいわれる。

十翼(じゅうよく)・・・「易経」の解釈書。経の本文を補翼する十編の書の意で、彖伝たんでん(上・下)、象伝しょうでん(上・下)、繋辞伝けいじでん(上・下)、文言伝ぶんげんでん説卦伝せっかでん序卦伝じょかでん、雑卦伝の十編からなる。孔子の著とされてきたが、成立は戦国時代から秦・漢代のころ。

九鼎大呂(きゅうていたいりょ)とは

九鼎大呂

【読み】きゅうてい‐たいりょ/きゅうてい‐たいろ

【意味】

「九鼎」は夏の禹王が九州から献上させた黄金で造った一基の鼎。

「大呂」は周王朝の太廟たいびょう(祖先を祀る大きな宗廟)に備えられていた大鐘。

どちらも非常に価値のある珍しい物。転じて、重要な地位や名声などのたとえ。

【出典】『史記』「平原君伝」

【眉雪の補記】

「九鼎」と「大呂」の本物は、現存していない。

始皇帝が周から奪おうとしたが、既に喪失していた。

「九鼎」の復元品が現在、上海博物館に在るだけだ。

「九鼎」については、前回、「鼎の軽重を問う」に書いた。

次に「大呂」とは、どんな物か。

文献では、大鐘となっているが、「大呂」の復元品は無い。

チャイナでは音楽のことを「律呂りつりょ」と呼ぶ。律(陽声)と、呂(陰声)の音からの成語。

従って、「大呂」は、音色を奏でる目的の大鐘のこととなる。

日本のお寺に在る吊り鐘を想像すれば良いのではないか、と思う。

「九鼎大呂」の大呂

大呂の「呂」は律呂の「呂」のこと

「鼎の軽重を問う」とは

鼎の軽重を問う

【読み】かなえの けいちょうを とう

【意味】

「鼎」とは、古代チャイナで、三本足と二つの耳の付いた青銅製の煮炊きに使う釜のこと。

料理だけでなく、表彰の贈呈物としても用いられた。

また、大きな鼎は、釜茹かまゆでの刑にも利用された。

チャイナの歴史を知る上で必須の物の一つだ。

九鼎の復元品
註:九鼎の本物は現存していない。復元品が上海博物館に蔵されている。

しゅうには代々受け継がれた鼎がある。この重さを、荘王そうおうたずねたのである。

さて、どう言う真意か?

【由来】

今回の場合の「鼎」は九鼎きゅうてい」のこと。

古代王朝の建国の祖であり、偉大な英雄のが、九つの州から献上された黄金を用いて一基の鼎を鋳造ちゅうぞうしたもの。

以来、鼎は一基だが「九鼎」と称された。やがて天子の権力と王朝の正当性を象徴する至宝しほうとして、いんしゅうの三時代にわたって継承され、その所有者が天子とされた。

註:九鼎は、九州から献上された黄金で造った一基の鼎とする説と、九基の鼎とする説とがある。大小や重さが異なる九基だと必ず品評が生じ、九州間でいさかいが起こる可能性が高い。賢明な禹がそんなことをする筈がない。また、九基だと今回の故事は成立しない。前説が正しいのではないか、と思う。

【真意】

王権や権威の象徴である「鼎」。

その「重さを尋ねる」とは二つの意図が想像される。

「お前に相応ふさわしい実力があるか?」

「俺の方が所有者として相応しいんじゃないか?」

と、「お前の権威は失墜した、俺に渡せ」と迫る意図が一つ。

あるいは、

「古ぼけた鼎を持っていると聞いたが、どれ位の大きさだ?」

「どれ程の物か知らんが、それより豪華な鼎を俺は作れるぞ」

と、「お前のものより豪華な鼎を作るぞ」と通告する意図がもう一つ。

どちらにしても、地位を奪う姿勢を示しているのだが、荘王は、後者の意図であろう。

【眉雪の補説】

「鼎の重さ」だけでなく「大きさ」も訊ねている。これは軍事力と経済力を訊ねているのである。

謂わば、初対面の相手に財布の中身を開帳しろと迫る無礼な行為だ。

「俺の財布の方が間違いなく札束が多く入っているぞ」の自信である。

くどいかもしれないが、現代風にたとえる。

中東の二人の国王が対面した。

「お前のその古ぼけた指輪のダイヤは、何カラットだ?」と問う。

もし大きなダイヤの場合、

「えっ!20カラット?それじゃあ、お前の細い指には重過ぎる。似合にあわんな。俺の太い指なら似合う」

と、のたまう。

反対に、軽い小さなダイヤの場合、

「えっ!3カラット?小さいなあ。それでも国王がめる指輪か?俺ならもっと大きなダイヤが買えるぞ」

と、どちらにしても見下している。

と、まあ、こんな感じの対話になるか。

アラブの王が指輪のダイヤを競う

この男はダイヤの大きさや輝きにしか価値を見出していない。

古ぼけたダイヤの歴史や伝統、文化と言う価値が理解できないのだ。

【故事】

荘王そうおうは、自ら出征し、天下統一をすべく、湖北のようを滅ぼし、そうった。翌年には、洛水東辺らくすいとうへん陸渾りくこんじゅうち、ついに洛陽らくように至り、しゅうの国都の郊外で観兵式かんぺいしきをやって、大いに武威ぶいを示した。

周の定王ていおうは、大夫たいふ王孫満おうそんまんを慰労を兼ねて荘王につかわした。

その場面でのことである。

荘王は、王孫満に、周の「九鼎きゅうてい」の重さを尋ねた。

要するに、「今世こんせいは楚の天下、俺のものだ。周ではない。だからその象徴である九鼎より大きな鼎を俺が作っても、構わないな」と暗に迫ったのだ。

この無礼に対して、王孫満いわく、

「天子の威厳は鼎の軽重にあるのではなく、徳にあります」と。

訊ねた荘王は、無言できびすを返した。

【出典】

『春秋左氏伝』宣公三年

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【原文】

楚子伐陸渾之戎、遂至于雒、觀兵于周疆。定王使王孫滿勞楚子。楚子問鼎之大小輕重焉

【読み下し文】

楚子そし陸渾りくこんじゅうち、ついらくいたり、兵をしゅうさかいしめす。
定王ていおう王孫満おうそんまんをして楚子そしねぎらわしむ。楚子、かなえ大小軽重だいしょうけいちょうを問う。

【語彙説明】

楚子(そし)・・・楚の荘王。
陸渾(りくこん)・・・地名。河南省陸渾県。
戎(じゅう)・・・異民族の蔑称。
雒(らく)・・・洛水らくすいという川の名。
疆(さかい)・・・国境。
観(しめ)す・・・威力を示す。
定王(ていおう)・・・周の天子。
王孫満(おうまんそん)・・・周の大夫たいふ

【参照PDF】

「鼎の軽重を問う」漢文、読み下し文と解説

出典:『新釈漢文大系』「史記六」「楚世家第十」