竹萌
【読み】ちくほう
【意味】たけのこの異名。
〔詩、大雅、韓奕、其蔌維何維筍及蒲、箋〕筍、竹萌也。
〔蘇軾、和陶郭主簿詩〕雀鷇含淳音、竹萌抱靜節。

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【読み】きょくらん
【意味】曲線を描いた欄干。
*六如庵詩鈔-二編(1797)二・嵯峨別業四時雑興三十首
「消遣清愁倚曲欄、亭高山気送星寒」
*虞美人草(1907)<夏目漱石>一一
「楼を描き、廻廊を描き、曲欄(キョクラン)を描き」
*白居易-題岳陽楼詩
「岳陽城下水漫漫、独上危楼凭曲欄」
【読み】こうほう
【意味】晃は、日光の合字。よって、日光山の峰のこと。
【例文】雀宮ヲ過ルヤ晃峰ヲ乾位ニ望ム
〔読み〕すずめのみや を すぐ るや こうほう を けんい に のぞ む
〔意味〕雀宮駅(宿場)を過ぎると日光山の峰が北西にみえる。
「雀宮」は、奥州街道の宿場の一つ。日光街道沿いに「雀宮本陣跡」碑石がある。
「乾位」の乾は八卦の一つ。方位としては北西を示す。
〔出典〕『下谷叢話』第三十八章 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 222頁 13行目
〔元の出典〕『赴任日録』 鷲津毅堂・著
〔註〕例文が漢字カタカナ交りになっているのは、元の漢文漢詩を読み下し文にした為。漢字の読み假名は、音訓共にひらがな、送り假名をカタカナ表記。
【詳細】
「晃峰」の晃は、元々有る漢字で、「あきらか。かがやく。ひかる。」の意味をもつ。
日本では、日と光の二字を合併して、日光の合字としても用い、日光山を晃山とした。
漢詩は近体詩が主流であり、固有名詞を二字に収める工夫をしている。
奈良時代に発布された「好字二字化令」も固有名詞の二字化に寄与した。
富士山は三文字なので漢詩漢文では、「富峰」「富岳」「富嶽」「士山」「不二」「芙蓉」「蓮岳」など二文字で表現している。
「芙蓉」「蓮岳」は、富士山の頂上に八つの峰があって八弁の蓮華(芙蓉とも)に似ていることから。
「士山」は、全国調べても富士山しかない。「不二」は、この世に二つと無いという意味だそうだ。
比叡山は、「叡山」「北嶺」。
比良山は「比良」。
越後(今の新潟県)と越中(今の富山県)の山々を「越山」。
飛騨山脈北西部の連峰を「立山」など。
日光山(男体山、二荒山とも呼ぶ)も三文字である。よって、「晃山」を作ったと思われる。
二荒山は、古称。弘法大師が音読みで「にこう」と読み、それを「日光」として今日に至ると『日光山縁起』にある。
因みに、『下谷叢話』の中で大沼枕山は、隅田川を「墨川」としている。
【雀宮から北西に観た山々を地図で確認】
雀宮から北西を遠望すると、男体山(日光山)が真正面に観える。
【『赴任日録』は『毅堂丙集 巻三』に残されている】
元々は漢文で書かれていたものを永井荷風が『下谷叢話』で読み下し文にした。
【眉雪の独言】
当初、晃峰は「かがやく峰」の意味だろうと思っていた。結果は「晃」が日光のことで固有名詞だった。
ここまで辿り着くのに、2月頃から調べて、約9ケ月かかった。
いや~、顔面蒼白、汗顔の至り、穴が有ったら入りたい。
「駅」を鉄道の駅とばかり思い込んでいた。宿場のことであった。「駅吏」の記述で気付きそうなものだが・・・
日本で鉄道が初めて開通したのは明治5年で、鷲津毅堂が赴任先・登米県(現・宮城県北東部)へ出発したのは明治2年!
汽車なんか走っている訳がない!
【読み】こうしゅう
【意味】詩歌をよみかわすこと。
【文例】
「遺稿の中に泉豊洲、倉成竜渚、頼杏坪らと賡酬の作あるは重に嚶鳴館の関係からであろう。」
『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 32頁 4行目
【読み】きぎん
【意味】岩石が突き出た岸。
【出典】『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 36頁 14行目
「魚鳥マタ碕沂ノ間ニ相嬉ブ。」
意味は文庫本の「注」語彙説明(264頁)を引用。解説者は成瀬哲生(山科大学教授)。
註:図書館で数種の辞書字典にあたったが見つからなかったので、文庫本の解説を引用した。
【読み】そうじん しりゅう
【意味】
騒人は、屈原の「離騒」に基づく語で、詩人・文人をいう。
緇流は、僧侶。緇は、僧衣の黒染めの色をいう。
【出典】『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 14頁 13行目
「尾濃ノ間騒人緇流ソノ高風ヲ慕ヒ遊ブ者常ニ数十人。」
意味は文庫本の「注」語彙説明(260頁)を引用。解説者は成瀬哲生教授(山科大学)。
註:図書館で数種の辞書字典に当ったが見つからなかったので、文庫本の解説を引用させて頂いた。
【読み】せんか
【意味】横切る。通り抜ける。つき切る。
【参照】『大漢和辞典』大修館書店
【文例】
「池ノ南ハ密竹林ヲナシ、清流ソノ下ヲ穿過ス。」
『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 36頁 14行目
【読む】ひまちづか
【読む】ひまちとう
【意味】日待は、朝方まで人が集まって飲食する信仰のこと。その供養の記念として造立した塔が日待塔である。
「日」は太陽のこと、年月日の意味ではない。日の出を待って夜明しをする場合「日待」と呼び、月を拝む場合は「月待」と呼ぶ。
〔日待の詳細〕
村内の仲間の者が集まって、ある決まった日の夕刻より一夜を明かし、翌朝の日の出を拝して解散する行事。
その期日は土地によって異なるが、正月、五月、九月の十六日とする所や、月の二十三日を重んずる所もある。
なかでも六月二十三日が愛宕権現や地蔵菩薩の縁日で、この日を日待とする所もある。
また、庚申講、二十三夜講の日を日待とする所も、日待講と呼ぶ所もある。
さらに、日待小屋という建物があり、村の各人が費用を持参する例もある。
〔日待、月待、庚申待の違い〕
日待とは、近隣の仲間が集まって特定の日に徹夜してこもり明かし、日(太陽)の出を拝む行事。正月、五月、九月などに行われる。
月待とは、陰暦で月の十七日、十九日、二十三日などの夜、月の出るのを待って供物を供え、酒宴を催して月を祭ること。特に、正月、五月、九月の二十三夜が盛大であった。「月祭り」とも言う。
庚申待とは、庚申の日、仏家では青面金剛または帝釈天、神道では猿田彦神を祭り、村人や縁者が集まり、徹夜する行事。庚申会。
〔眉雪の愚見〕
日待、月待、庚申待は、元々は宗教祭事だったかも知れないが、庶民的民俗行事となった、と思われる。
夏の盆踊り、秋祭り、歌留多会などと同じで、次第に、男女の出会いの場となった。
【関連】月待塔(つきまちとう)、月待塚(つきまちづか)、庚申塔(こうしんとう)、庚申塚(こうしんづか)
【読み】いちざい
【意味】服用時点が同一の内服薬。
【文例】
「先生ヲシテ診セシムルニ一劑ニシテ癒ユ。」
『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 14頁 8行目