南郭子綦(なんかくしき)とは

南郭子綦/南郭子葵

【読み】なん-かくしき

古人の名。孔子の弟子。
子游等と同時の人。南伯子綦を見よ。
〔莊子、齊物論〕南郭子纂、隱几而坐、仰天而嘘。
〔釋文〕司馬云、居南郭、因爲號。

【眉雪の追記】

楚の昭王の庶弟(異母弟)。南郭は子綦が住んでいた所。

〔『新釈漢文大系』第7巻 老子・荘子(上)『斉物論』篇 p.152〕

南伯子綦/南伯子葵

【読み】なん-ぱくしき

戰國の人。南丘に遊んで大木を見、其の不材なるが故に、却って其の眞に大なるを知る。
又、南子綦・南子葵に作る。〔荘子、齊物論・人閒世・大宗師〕

【眉雪の追記】

『荘子』の中で

「南子綦は、南子綦(斉物論にみえる)と同じ。「伯」は長。従う道が貴く、物の長となりうるので、伯という。」

と解説されている。〔『新釈漢文大系』第7巻 老子・荘子(上)『内篇 人間世第四』篇 p.220〕

『荘子』の中で

「南伯子は、南郭子の誤りであろう。」

と、解説されている。〔『新釈漢文大系』第7巻 老子・荘子(上)『内篇 人間世第四』篇 p.259〕

『大漢和辞典』の表記の「南郭子綦」PDF

委墩(いとん)とは

委墩

【読み】いとん

【意味】墩は、物をずっしりと集積すること。委墩で、まかされて重くのしかかる意か。

【出典】『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 15頁 4行目

意味は文庫本の「注」語彙説明(260頁)を引用。

田塍(でんしょう)

田塍

【読み】でんしょう

【意味】田のあぜ。田畠のうね。

〔劉禹錫、插田歌〕田塍望如線、白水光参差。

〔蘇舜欽、遊山詩〕崎嶇縁田塍、時又渉、狹磎。

田塍閒/田塍間

【読み】でんしょうのあいだ

【意味】田のあぜ道の閒。

〔頼山陽、耶馬渓圖卷記〕與含公南行、行田塍閒、至仙人巖。

 

PDFで見る「田塍」

市塵(しじん)

市塵

【読み】しじん

【意味】

1.市街しがいにたちこめるちりやほこり。

〔文例〕「四隣農事促、一径市塵稀」(出典:『蹈海集』三、服部元雄・著)

2.市中の雑踏ざっとう。町中のにぎわい。

〔文例〕「俗気都にも増せる市塵のうちに一夜を過せり」(出典:『三日幻境』北村透谷・著)
〔文例〕「願の如く市塵をのがれて」(出典:『不言不語』尾崎紅葉・著)

3.藤沢周平の長編小説。1988年刊行。儒者、新井白石を主人公に据えた歴史小説。第40回芸術選奨文部大臣賞受賞。

 

薄醨(はくり)

薄醨

【読み】はくり

【意味】うすいさけ。醨は、薄い酒、または、汁。

【出典】『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 204頁 14行目

薄醨口ニ上ラズ。饂麵ヲ食シテ去ル。」

 

太田行蔵(おおた こうぞう)

太田 行藏

【読み】おおた こうぞう/おほた かうざう

【略歴】

明治28年(1895年)生れ。(長野県)信州伊那出身。

大正6年 国学院大師範科卒。

旧制甲府中学~諏訪~松本高女学校教師を経て片倉工業学園講師。

昭和46年 国語問題協議会理事。

平成2年(1990年)2月 逝去、95歳。

【著書及び監修編集】

『登山』  健文社 昭和4年(1929年)
『憧れのキャンピング』 健文社 昭和6年(1931年)
『國文の單語』〔編集〕 開隆堂書店 昭和11年(1936年)
『國文法指針 學習受験』 健文社 昭和11年(1936年)
『國語敎育の現狀』 白水社 昭和16年(1941年)

『現代假名遣批判と今後の國語敎育』 日本弘報社 昭和23年(1948年)

→ 表紙 目次 本文 補足1 補足2

『國語の擁護 現代假名遣ひを駁す』〔共著〕 城北書房 昭和23年(1948年)
『日本語を愛する人に』 三光社 昭和31年(1956年)
『人間土屋文明論』 短歌新聞社 昭和46年(1971年)
『小倉百人一首』〔監修〕 三弥井書店 昭和48年(1973年)

冬雷創刊60周年記念刊行の文庫版
『現代仮名遣い表記「四斗樽」圧縮版』 冬雷短歌会・発行 令和3年(2021年)

【眉雪の独言】

太田行蔵氏の略歴がネット上に見当たらなかったので、未完成だが、取り急ぎ記事にした。

除災増福(じょさいぞうふく)

除災増福

【読み】じょさい-ぞうふく

【意味】災難や不運を払い、福祐ふくゆう増進を祈ること。

福祐・・・神のたすけ。神祐。転じて、幸福。さいわい。また、そのさま。

ちなみに、除災招福は 、災難や不運を払い、良い運や幸せを招き入れるように祈ること。

 

【神社仏閣の祈祷きとうの説明】

祈祷の説明に「神仏の加護かごを願い、言葉によって除災増福を祈ること。また、その儀礼」とある。この説明の中の「増福」は初耳だった。「招福」の間違いでは無いか、と神社仏閣ぶっかくの説明を調べてみた。

例1.曹洞宗・法岩院の「祈祷」の説明

神仏のご加護を願い、除災増福を祈ります。法岩院では、ご本尊お釈迦様、鎮守(道了尊さま)へ飲食・花・灯明・香を供え、読経いたします。

例2.曹洞宗・可睡斎の「御祈祷」の説明

御祈祷を受ける人々はその厳かな雰囲気の中、神仏のご加護を願い、除災増福を祈り、頭を垂れ、焼香を行います。

例3.日枝神社の「御祈祷(御祈願)」の説明

江戸時代、赤坂の溜池を望む星が岡に鎮まり、東都第一の大社にして将軍家、諸大名が事あるごとに御祈祷(御祈願)をした「祈りの岡」日枝神社。

除災招福祈願・・・災いを祓い除け、転じて幸福が来る事をお祈りいたします。

例4.若宮住吉神社の 「祈祷」の説明

除災招福とは 災いが続くのを絶ち、良いことが起こる流れになるよう、社殿の御神前にて祈念する祈祷。

例4.高野山増福院の縁起

当院は鎮守府将軍多田満仲公の末孫多田仲光の三男源賢和尚の開基によるものです。満仲公は元弘法大師を深く尊信し高野山を師崇していました。長徳三年病床に伏すや高野山に寺院を建立、弘法大師を讃仰し一門の「福祐増進を祈るべし」と遺言しました。増福院の院号はここから来ています。

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【追記】徳川家康公の遺言

徳川家康公は生前、家臣に対し、自分の死後について「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、八州の鎮守になろう」(『本光国師日記』より)との遺言を残されました。

東照宮(とうしょうぐう)とは、江戸幕府初代将軍の徳川家康を「東照大権現」として祀る神社である。

巫者(ふしゃ)/巫覡(ふげき)

巫者

【読み】ふ-しゃ

巫覡

【読み】ふ-げき

【意味】神に仕えて、祈祷きとうや神おろしをする人。「巫」は女性、「覡」は男性にいう。

【例文】「巫覡卜相ふげきぼくそうともがらまえこうべうつぶせんよりは」<幸田露伴「運命」>

 

【解説中の語彙説明】

祈祷

〔読み〕きとう

〔意味〕神仏の加護かごを願い、言葉によって除災増福じょさいぞうふくを祈ること。また、その儀礼。

〔例文〕「加持祈祷」