提撕(ていせい/ていぜい)とは

提撕

【読み】てい‐せい/てい‐ぜい

【意味】

1.師が弟子を奮起させ導くこと。特に禅宗で、師が語録や公案などを講義して導くこと。

2.後進を教え導くこと。

3.奮い起こすこと。盛んにすること。

【文例】

「実行上に、新しい道徳を提撕し」〈花袋・描写論〉

〔漢検対象級 1級〕

卓犖(たくらく)とは

卓犖

【読み】たく‐らく

【意味】

1.すぐれて他からぬきんでていること。また、そのさま。

【文例】

「豪邁卓犖にして、…益々家学を弘む」〈田口・日本開化小史〉

「宝祚の護持を致す事、諸寺に卓犖せり」〈太平記・一五〉

2.この上なく、すぐれているさま。

【文例】

「卓犖たる将帥となり」〈中村訳・西国立志編〉

 

〔漢検対象級 1級〕

青瓷/青磁(せいじ)とは

青瓷/青磁

【読み】せい‐じ

【意味】

うわぐすりに含まれる鉄が還元されて、緑青色あるいは黄みを帯びた青色を呈する磁器。

中国で発達し、安南・朝鮮・日本などに伝わった。

青瓷

【読み】あお‐じ/おあ‐し

【意味】銅を呈色剤ていしょくざいとした緑色のうわぐすりを表面にかけた陶器。緑釉陶器。りょくゆうとうき

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呈色剤

【読み】ていしょく-ざい

【意味】ある物質を発色または変色させる調合した薬。

罍子/櫑子(らいし)とは

罍子/櫑子

【読み】らい‐し

【意味】

高坏(たかつき)の上部に似て縁の高い器をいう。果物などを盛るのに用いた。

【参照】三省堂「大辞林」第三版

① 酒を入れる器。〔十巻本和名抄(934年頃)〕
② 食物などを盛る器。縁(ふち)つきの盤(さら)。

【参照】精選版 日本国語大辞典

縉紳/搢紳(しんしん)とは

縉紳/搢紳

【読み】しん-しん

【意味】《笏 (しゃく) を紳 (おおおび) に搢 (はさ) む意から》

官位が高く、身分のある人。

【文例】

「縉紳の身ながらに笏や筆を擱 (お) いて、弓箭鎗太刀を取って武勇の沙汰にも及んだ」

<幸田露伴「魔法修行者」>

佚居/逸居(いっきょ)とは

佚居/逸居

【読み】いっ‐きょ

【意味】

あそびくらすこと。のんきにくらすこと。

安楽に暮らすこと。怠けて気ままに暮らすこと。

【文例】

「 佚居して空しく衣食するの道理はある可らず」(「福翁百話」 福沢諭吉)

「中世縉紳の佚居の風を素描する」

〔漢検対象級 1級〕

扱帯(しごきおび/しごき)とは

扱帯/扱き帯

【読み】しごきおび

【意味】

元々は、武家の女性や女児が家の中で着物の裾をお引きずりに着ていて、外出時に裾をたくし上げて、ひもで締めた腰紐が原形。
それが抱え帯とよばれ、扱帯の原型となった。
抱え帯は、懐剣の包みや筥迫(箱セコ:はこせこ)と同じ生地で作られる細い帯状のもの。

帯の下に巻いて、左の後ろ脇で蝶結びにして垂らします。

 

七五三の振袖の各部の名称01七五三の振袖の名称02

 

〇お引きずり ・・・ 着物の裾を引きずるように着ること。また、そのように仕立てた着物。

〇筥迫/箱セコ(はこせこ)・・・江戸時代に奥女中や中流以上の武家の若い娘が持った鼻紙入れ。現在は和服の礼装の際の装飾として使われる。

半紙(はんし)全壊紙(ぜんかいし)半懐紙(はんかいし)

半紙(はんし)、全壊紙(ぜんかいし)、半懐紙(はんかいし)

和紙の規格。大きさによって、3種類に分けられる。

半紙:書道半紙と同じ242x333mm。
全壊紙:363x500mm。
半懐紙:全懐紙の半分で252x363mm。

日本では近世に入ると紙の需要が飛躍的に増大し、各地に和紙の産地が生まれ大量に流通するようになった。
明治時代になり、紙の産地では1904年(明治37年)頃に半紙の生産が急激に落ち込んだ。
1903年(明治36年)から国定教科書が洋紙に切り替えられ、学校教育でも洋紙が急速に普及したためだ。
毛筆は学校ではもっぱら習字の時間に使われるのみとなった。

書道で使用される半紙は 約243x333mm(曲尺で 8寸 × 1尺1寸)であり、この規格が書道・習字の半紙のほぼ全てを占める。

半紙は、杉原紙の寸延判を全紙としてこれを半分にした寸法の紙。
延紙(延べ紙)を半分にした寸法の紙と定義されることもある。

辞書類では延紙(延べ紙)を半分にした寸法と説明されることが多いが、久米康生氏(註1)から延紙の判型は、もともと半紙よりも小さく定義が矛盾していると指摘されており「杉原紙の寸延判」を基準にした再定義がなされている。

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【註解】
註1.久米康夫氏

久米 康生(くめ やすお、1921年3月10日-2015年)は、和紙研究家。

徳島県名西郡石井町生まれ。筆名・芳水康史。1943年東京帝国大学文学部東洋史学科中退。
1989年和紙文化研究会代表、2011年名誉会長。