諱言
【読み】きげん
【意味】①忌み憚って遠慮すべき言葉。悪口。また、言うことを忌み憚る。
②いさめを拒む。他人の言を忌み嫌うこと。
諱(いみな)・・・実名。死者の生前の名。生前は名と言い、死後は諱と言う。
人が死ねば諡(おくりな)を称して、生前の名を忌み嫌うことから。
<参照:大漢和辞典>
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二文字三文字熟語
諱言
【読み】きげん
【意味】①忌み憚って遠慮すべき言葉。悪口。また、言うことを忌み憚る。
②いさめを拒む。他人の言を忌み嫌うこと。
諱(いみな)・・・実名。死者の生前の名。生前は名と言い、死後は諱と言う。
人が死ねば諡(おくりな)を称して、生前の名を忌み嫌うことから。
<参照:大漢和辞典>
髦秀
【読み】ぼうしゅう
【意味】才智の優れた人。髦俊(ぼうしゅん)
<参照:大漢和辞典>
讖緯
【読み】 しんい
【意味】(「讖」は予言、「緯」は緯書)陰陽五行説・日月五星の運行などにより未来を占う術。また、その書。
中国の前漢末から南北朝にかけて流行し、特に王朝革命の理論として利用されたが、弊害が多いとして隋代に禁止された。
〔出典 『大漢和辞典』大修館書店〕
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陰陽五行説(おんようごぎょうせつ)
中国の春秋戦国時代頃に発生した陰陽説と五行説、それぞれ無関係に生まれた考え方が後に結合した。
陰陽五行説、陰陽五行論(おんようごぎょうろん)ともいう。
陰陽思想と五行思想との組み合わせによって、より複雑な事象の説明がなされるようになった。
陰陽道などにおいては、占術などに用いられる事もあった。
舛駁
【読み】 せんばく
【意味】 入りまじって正しくない。また、純粋でないさま。
【例文】 衆説舛駁し、互いに見る所を執る (顔師古「明堂論」)
〔読み〕 しゅうせつ せんばくし、たがいに みるところを とる
〔原文〕衆説舛駁、互執所見
〔出典〕『旧唐書』顔師古 明堂に関する意見の箇所
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【解説】
顔師古(がんしこ)
西暦581~645年。享年64歳。男性。
中国、唐の学者。名は籀 (ちゅう) 。字は師古。陝西(せんせい)の人。
祖父の顔之推(がんしすい)をはじめ、一族に学者や高名な書家が多い。
隋の時代、長安で教育に従事し、唐が興ると中書舎人、中書侍郎として詔書の起草などを行なった。
630年太宗の命を受けて五経のテキストの校定を行い、『大唐儀礼』 (100巻) の編纂に加わり、
孔穎達 (こうえいたつ) らと『五経正義』の撰集にあたった。
なかでも『漢書』に施した注が有名。
正議大夫、秘書監を経て弘文館学士に終った。
明堂(めいどう)
「明堂」とは、中国古代に帝王がそこで政教を明らかにしたとされる建物。
政治、儀礼、祭祀、教育といった、国家の重要な営みはすべてそこで行われたが、のちにそれらは朝廷、
圜丘(えんきゆう:天をまつる壇)、宗廟(そうびよう)、辟雍(へきよう:学校)など
に分化していったといわれる。
『周礼(しゆらい)』や『礼記(らいき)』などの経書に記載されているが、
その具体的な規模についてはよくわからず、古来より経学上の重要な争点の一つであった。
旧唐書(くとうじょ)
中国五代十国時代の後晋出帝の時に劉昫・張昭遠・賈緯・趙瑩らによって編纂された歴史書。
二十四史の1つ。唐の成立(618年)から滅亡まで(907年)について書かれている。
当初の呼び名は単に『唐書』だったが、『新唐書』が編纂されてからは『旧唐書』と呼ばれるようになった。
「本紀」20巻、「列伝」150巻、「志」30巻の計200巻から成る。紀伝体の書である
論駁
【読み】 ろんばく
【意味】 相手の論や説の誤りを論じて攻撃すること
【例文1】 二人は、各々、自説を固守して、極力論駁を試みた。(「煙管」芥川竜之介)
【例文2】 衆説論駁して、互いに見る所を執る。(顔師古)
註:例文2は、『佩文韻府』「論駁」の項目に「衆説論駁、互執所見」とあるが、
元々は「衆説舛駁、互執所見」であり、転記間違いと思われる。