半紙(はんし)全壊紙(ぜんかいし)半懐紙(はんかいし)

半紙(はんし)、全壊紙(ぜんかいし)、半懐紙(はんかいし)

和紙の規格。大きさによって、3種類に分けられる。

半紙:書道半紙と同じ242x333mm。
全壊紙:363x500mm。
半懐紙:全懐紙の半分で252x363mm。

日本では近世に入ると紙の需要が飛躍的に増大し、各地に和紙の産地が生まれ大量に流通するようになった。
明治時代になり、紙の産地では1904年(明治37年)頃に半紙の生産が急激に落ち込んだ。
1903年(明治36年)から国定教科書が洋紙に切り替えられ、学校教育でも洋紙が急速に普及したためだ。
毛筆は学校ではもっぱら習字の時間に使われるのみとなった。

書道で使用される半紙は 約243x333mm(曲尺で 8寸 × 1尺1寸)であり、この規格が書道・習字の半紙のほぼ全てを占める。

半紙は、杉原紙の寸延判を全紙としてこれを半分にした寸法の紙。
延紙(延べ紙)を半分にした寸法の紙と定義されることもある。

辞書類では延紙(延べ紙)を半分にした寸法と説明されることが多いが、久米康生氏(註1)から延紙の判型は、もともと半紙よりも小さく定義が矛盾していると指摘されており「杉原紙の寸延判」を基準にした再定義がなされている。

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【註解】
註1.久米康夫氏

久米 康生(くめ やすお、1921年3月10日-2015年)は、和紙研究家。

徳島県名西郡石井町生まれ。筆名・芳水康史。1943年東京帝国大学文学部東洋史学科中退。
1989年和紙文化研究会代表、2011年名誉会長。

猪牙舟(ちょきぶね)ちょろ船(ちょろぶね)とは

猪牙舟

【読み】ちょきぶね

【意味】茶船の一種で、船首を鋭くした水切りのよい軽快な小船。

普通船頭1人で漕ぎ、江戸では吉原通いの山谷船として有名であるが、
その軽便な点を利して小荷運送や磯漁にも使われた。

語源は、船首を猪の牙のように長く突き出しているからの説がある。

関西では「ちょろ」「ちょろ船」という。

 

猪牙舟(ちょきぶね)

茶船(ちゃぶね)

1.猪牙船や荷足船(にたりぶね)に代表されるような小人数の客
や小荷物を運送する小船。
2.港湾や河川で停泊中または航行の船に飲食物を売る小船。にうりぶね。うろうろぶね。
3.投網、ざこ、貝類とりなどの磯漁に使う小船。
4.利根川筋では、薪炭、木材、米穀などを運送した中型の荷船のことで、同じ川筋の
高瀬船や平田船よりも小型なのが特徴。
5.港湾にあって沖がかりしている廻船と陸岸との間を往復して荷物を運送する船で、
瀬取船、上荷船と同様のもの。

ちょろ船(ちょろぶね)

瀬戸内海を中心に、西は北九州から東は紀伊半島・東海道・東京湾の各地で使われていた
小型の和船。長さ7m、肩幅 1.2m程度のもので、船首が箱造になった、2挺櫓の軽快な
船であったというところが多い。

江戸では町奉行所の巡邏(じゅんら)船としても利用され、瀬戸内海の木江(きのえ)港
では女が停泊中の船に乗り込むのにも使っていた。

「ちょろ」とは形の小さいことを意味することばであるという。

唐臼(からうす)とは

唐臼

【読み】からうす/とううす

【意味】江戸時代の脱穀具。うすの一種。

臼は地面に固定し、きねをシーソーのような機構の一方につけ、足で片側を踏んで放せば、杵が落下して臼の中の穀物をく。米や麦、豆など穀物の脱穀に使用した。み臼ともいう。〔wikipedia〕

 

すり臼系統の唐臼は、上臼に取り付けた遣木 (やりき) を数人で回し、籾 (もみ) がらをのぞいて玄米にする。

寛永初年(16世紀前半)にチャイナからもたらされ、従来の木の臼より能率がよく、享保(1716〜36)頃から普及。

つき臼系統の唐臼もあり、これは臼の部分を地面にすえ、杵にあたる部分を足で踏み、脱穀する。

〔出典:旺文社日本史事典〕

 

唐臼(からうす/とううす

 

てこの原理を応用した足踏み式の臼。臼と杵を取付けた棹木(さおぎ)から成り、支点をはさんで棹木の一方の端を踏んで用いる。

日本では平安時代の文献にすでに現れているが、一般に普及したのは江戸時代になってからで、初め米屋などで米の精白に用いられていたものがのちに農家にも広まり、籾ずりなどにも用いられた。

〔出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典〕

ルビとは。ルビの語源。フリガナ。振り假名

漢字の上や右横に、その漢字の読みがなを添える振り假名(フリガナ)ことを、「ルビを振る」と言います。

例えば、

「あのチームは強者つわもの揃いだ」

「『音楽の都』維納ウィーンは、墺太利オーストリアの首都だ」

などですね。

 

さて、この「ルビ」の語源は、何でしょうか。

 

十九世紀の後半、イギリスでは、活字の大きさ(pt/ポイント)の中に宝石で呼ぶものがありました。

4.5ポイント = ダイヤモンド

5.0ポイント = パール

5.5ポイント = ルビー

6.5ポイント = エメラルド

このうちの5.5ポイントが、日本の新聞社で使われていたフリガナの大きさ(7号活字、5.25pt)に近かったので、「ルビ」と呼ぶ様になったとのことです。

檜扇/射干(ひおうぎ)

檜扇/射干

【読み】ひおうぎ

【意味】細長いヒノキの薄板をとじ連ねて作った扇。

衣冠いかん、または直衣のうしの時、しゃくに代えて持つもので、近世では板の数は、

公卿くぎょうは二十五枚、殿上人てんじょうびとは二十三枚、女子は三十九枚。

男子のものは白木のままとするが、女子のものには幅の広い三重、五重などがあり、

美しく彩色し色糸を長くたらして装飾した。

衵扇(あこめおうぎ)とも言う。

 

檜扇、射干、衵扇

檜扇の画像

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【文中の語彙説明】

○衣冠(いかん) ・・・ 冠を被っていて、昼ならば束帯、夜ならば衣冠。元々、束帯が宮中での勤務服であったが、一日中着るには窮屈だったので、少し緩い衣冠が生まれた。このため、衣冠を「宿直(とのい)装束」、束帯を「昼(ひの)装束」とも呼んだ。

○直衣(のうし) ・・・ 直衣の外見は、衣冠とほぼ同じ。但し、衣冠は身分によって色や模様が決まっていたのに対し、直衣にはそれがない。

○笏(しゃく/こつ) ・・・ 束帯のとき威儀を正すために用いた長さ1尺2寸(約40cm)の板状のもの。礼服着用のときには象牙製、束帯や袍袴(ほうこ)のときには櫟(いちい)製を用いた。

貴族階級の服装に用いられる威儀具。「笏」の漢音「こつ」が「骨」に通(かよ)うのを忌(い)んで、笏の長さ一尺の「尺」を用いて「しゃく」と発音した。もと、儀式の際に備忘のため式次第を書いた紙を笏の裏に貼り、右手に持ったもので、手板(しゅはん)とも称した。

○公卿(くぎょう) ・・・ 公と卿の総称。公は太政大臣、左大臣、右大臣をいい、卿は大・中納言、参議および三位以上の貴族をいい、あわせて公卿という。

○殿上人(てんじょうびと) ・・・ 天皇の常御殿の清涼(せいりょう)殿に昇殿を許された人。

 

平成天皇の皇太子ご結婚の義

切畳紙/裁片畳(きれたとう)とは

切畳紙

【読み】きれたとうがみ/きれたとう/きれたとうし

裁片畳

【読み】きれたとう

【意味】(「たとう」は厚紙を折りたたんだ小物入れの意)小切こぎれを入れる畳紙。

【例文】

「宮はわざ打背うちそむきて、裁片畳きれたたふうちかきさがせり」

〔『金色夜叉』前編 第五章、尾崎紅葉・著〕

現代口語訳:「宮はわざと背を向けて、畳紙たとうの中の端切はぎれものを探すふりをした」

註:「裁片畳」は「きれたとう」の当て字。裁断した小さな畳紙の意か。

 

『日本国語大辞典』の表記の「切畳紙」PDF

畳紙/帖紙(たとう‐がみ/たとうし/たとう)とは

畳紙/帖紙

【読み】たとう‐がみ/たとうし/たとう/たたう‐がみ

【意味】〘名〙(「たたみがみ」の変化した語)

1.檀紙だんしとり子紙こがみなどの紙を折りたたんだもの。懐中して鼻紙また歌の詠草えいそうにも用いる。ふところがみ。懐紙かいし。たとう。

2.厚い和紙にしぶうるしを塗って折りめをつけた丈夫じょうぶな包み紙。和服・小ぎれ・女の結髪の道具などを包むもの。たとう。

註:檀紙(だんし)・・・大正時代頃まで用いられていた最高品位の儀礼用の和紙。

註:鳥の子紙(とりのこがみ)・・・和紙の一つ。単に「鳥の子」ともいい、紙面がなめらかで鶏卵のような淡黄色の光沢があるので、こう呼ばれる。

註:詠草(えいそう)・・・作った和歌や俳諧を紙に書きつけた草稿。

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畳紙

【読み】たとうがみ

【意味】

折り畳んで懐中に入れ、歌などを書いたり、鼻紙に用いたりした紙。
「たたんがみ」ともいい、平安から江戸時代までの文学作品にもきわめて多くの用例が出てくる。

最初は教養のある者のたしなみとして、公家くげ社会では檀紙だんし(陸奥紙)みちのくがみなどを愛用したが、武家社会になると杉原紙すぎはらしが好まれるなど、時代によって用いられる紙の種類や折り畳み方などに変化がみられる。

日葡にっぽじしょ辞書』(1603年)にも採録されている。

また近代ではくしなどを入れるための、うるししぶなどを塗った厚紙を折り畳んだものを呼ぶ場合もある。

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

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畳紙

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関連: 切畳紙、裁片畳(きれたとう)

猫柳、狗子柳、狗尾柳(ねこやなぎ、えのこやなぎ、えのころやなぎ)

「ネコヤナギ」は「猫柳」と書き(学名: Salix gracilistyla)、ヤナギ科ヤナギ属の落葉低木。

山間部の渓流から町中の小川まで、広く川辺に自生する、ヤナギの一種である。

和名「ネコヤナギ」の由来は、やわらかい銀白色の毛に覆われた花穂がネコの尻尾に連想させることから、この名がある。

別名で「エノコヤナギ」「エノコロヤナギ」「イノコロヤナギ」「カワヤナギ」とも呼ばれる。

地方によって呼称が異なり、「ネコネコ」「ネコジャラシ」「ネコノマクラ」「ニャンコノキ」といった猫と結びついた呼称や、「イヌコロ」「エノコロ」「インコロ」「イノコロヤナギ」といった犬と結びついた呼称が知られるほか、東北では「ベコ」「ベコベコ」「ベコヤナギ」といった牛と結びついた呼称が見られる。

「エノコ」は、漢字で「犬子」「犬児」「狗児」「狗子」などと表記し、

「エノコヤナギ」または「エノコロヤナギ」は、「狗子柳」「狗尾柳」と書く。

 

ネコヤナギ(猫柳)

 

 

石榴口(ざくろぐち)とは

石榴口(ざくろ-ぐち)

1.江戸時代の銭湯の、洗い場から浴槽への出入り口。
湯のさめるのを防ぐため、浴槽を板戸で仕切り、その下部を開けて身体を屈めて出入りするように造ったもの。じゃくろぐち。

咄本・吟咄川(1773年)せん湯「せんとうへゆき、まっぱだかになりてざくろ口から」

滑稽本・浮世風呂‐前・序「目に見えぬ鬼神を隻腕(かたうで)に雕(ゑり)たる侠客(ちうつはら)も、御免なさいと石榴口に屈むは銭湯の徳ならずや」

2.(石榴の実がはじけるように) 裂けて開いた口。はぜぐち。

語源説:当時、鏡磨きには石榴の酢を要したので、屈んで入る「かがみいる(屈入)」を「かがみいる(鏡要)」にかけ、この名がついたもの〔醒睡笑・大言海〕。

出典:「精選版 日本国語大辞典」

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〇江戸時代の銭湯で、湯船と流し場とを仕切る板戸。湯がさめぬよう、また蒸気が逃げぬように造られたもので、
客は板戸の下の低い入口をくぐって薄暗い湯船へ入る。語源は、室町以降寛永ごろまでザクロの実の汁で鏡をみがいたから、〈かがみ入る〉としゃれたものという。 出典:平凡社「百科事典マイペディア」

〇江戸時代の銭湯で、浴槽の前方上部を覆うように仕切り、客がその下を腰をかがめてくぐり抜けて浴槽に
入るようにした入口のことをいう。湯がさめないように、狭い入口となっているのが特徴で、
明治以降は衛生的でないとして、この形式の銭湯は禁止された。 出典:「ブリタニカ国際大百科事典」

 

江戸の湯屋の見取図 湯屋のビジュアル図

『守貞謾稿』については下記参照。

 

石榴口の入口側 石榴口の湯舟側

 

石榴口。カラー 石榴口。カラー。女湯

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【追記1】

上記に掲載した江戸末期の湯屋(銭湯)の全体図は、『守貞謾稿』(もりさだまんこう)に描かれたもの。

『守貞謾稿』は、喜多川守貞によって書かれた、いわば江戸風俗事典。天保八年(1837年)作。

高座(当時は「番台」と言わなかった)は、女湯の板の間側にある。

男湯の方が見えないので、盗難防止のために、男湯側に見張りを置いた。

寛政の改革後は男女別湯になったにもかかわらず、浴槽だけが男女別で、

脱衣所、洗い場は男女の境がなく、ほとんど混浴同然だった。

 

【追記2】

イラストを見ると勘違いしてしまいますが、こんなに明るくはありません。

現代に暮らす我々は、夜でも照明が有って、昼間同様に明るいのが当り前になっていますが、江戸時代の照明は、行灯あんどんぐらいしか無かった。

従って、湯屋の中は、昼間でも薄明り、夕方以降は相当暗かったと想像すべきです。

石榴口を潜った浴槽周辺は、真っ暗で、人の顔は判別不可能。

仮に男女混浴だったとしても、何も見えなかっただろうと思います。

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【参考】

湯屋(銭湯)がどれくらいあったか?

享和三年(1803年)には江戸市中に499軒、文化五年(1808年)には523軒、さらに文化十一年(1814年)には600軒あったそうです。

因に、内風呂や厠を屋敷内に設けているのは、武家屋敷や大店で、町屋、長屋は銭湯と同じ共同厠。

つい昭和50年頃まで、長屋は、共同風呂、共同便所が珍しくなかった。