儒冠じゅかん おのおの まもリ、紈袴がんこちりハズ」(文1)とは、どんな意味か?

これだけ読んでも、残念ながら、ちっとも解らない。

この一文の元の文章を知って少し理解できる。

元の出典は、杜甫とほの詩にあった。

紈袴がんこ 餓死がしせず。儒冠じゅかん 多く身をあやまる。」(文2)

この意味は、

きぬ下穿したばきの貴公子きこうし餓死がしすることはないのに。学者は人生をはずすことが多い。」

と云うもの。

しかし、これだけじゃあ、ピンと来ない。

もう少し内容や背景をまで踏み込んでみる必要がある。

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【杜甫の詩の背景】

唐の第九代皇帝、玄宗げんそうは、国中から人材を集めようと科挙試験を実施したが、一人も合格者が出なかった。

時の宰相さいしょう李林甫りりんぽが、自分の地位を危ぶんだのだろう、不正操作した結果だと言われている。

昔はひどいことをしたもんですねえ。

あっ!そうか。今もチャイナは酷いや!あははは

杜甫は少年時代からその秀才振りは有名で将来を期待されていた。

本人も自覚しており、官吏を目指した。

杜甫は、有力者の宴席に顔を出したりなど、自ら売り込むと言う面白い働きかけをしている。

見え透いているが、可愛がられた。推薦を取り付け、科挙の受験に漕ぎつけた。

しかし、その甲斐かいなく(李林甫の不正操作の煽りを受けて)、合格できなかった。その落胆は察するに余りある。

その杜甫が、長安を去る時に世話になった韋左丞丈いさじょうじょうに宛てた詩(文2)の冒頭の二句が、これ。

杜甫の詩は、自虐的で情けない男を演じ、同情をく様な、ちょっと滑稽こっけいな文体なのである。

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【杜甫の詩の詳細】

〇「紈袴」とは、貴族の子弟の履くズボン或いは下着。「紈」は白い上質の絹。
『漢書』叙伝上に班固自身の出自のよさを言って、「綺襦(上半身に着る絹の下着)紈袴の間に在り」。
〇「儒冠」とは、儒者のかぶる冠。「儒冠」によって儒者、文筆を事とする者を表す。

二句は良家の子弟が困窮することはありえないのに対して、学問・文学に携わると落伍者になることをいう。
身分の高い者は「綺襦」で表すこともできるのに、あえて下半身に着ける「紈袴」で表し、低い者は逆に頭に着けるもので表している。
上下の転倒に皮肉か籠められる。加えて「袴」を下着に限定すれば、皮肉は更に増す。

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【文1の意味】

儒冠じゅかん おのおの まもリ、紈袴がんこちりハズ」とは、

「成り上がりの学者は、身分をわきまえ、貴族の子弟の仲間に成ろうなどとするべきではない」

と言う意味でしょうね。

貴族の子弟は、自分達の権利・役得を守ることに敏感で、能力の高い余所者を嫌う。

事実、杜甫の詩(文2)の後の句で登場する李邑は、杜甫が心から敬愛していたした人物だったが、冤罪によって殺されている。宰相・李林甫の陰謀だった。

この当時、玄宗皇帝は楊貴妃に惑溺わくできし国政がお留守。そのスキに李林甫は権力をほしいままにしていた。

必然的に時代は暗転していき、やがて安碌山あんろくざんの乱が起こって、国は滅びた。

いや~、毎度お馴染みの亡国の末路ですが、今のチャイナ、ロシア、北朝鮮の「悪党三ヶ国」も、この道を早く辿たどってくれないかなあ~、とねがうのは私ばかりじゃないでしょうね。あははは

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【出典】

〔原文〕儒冠各守分。不追紈袴塵。

〔訓読〕儒冠じゅかん各分おのおのぶまもリ、紈袴がんこちりハズ。

〔書籍〕『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 155~156頁

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【元の出典】

〔題〕奉贈韋左丞丈二十二韻。杜甫。

〔原文〕紈袴不餓死。儒冠多誤身。

〔訓読〕紈袴餓死せず。儒冠多く身を誤る。

〔現代語訳〕

韋左丞殿に贈り奉る。

絹の下穿きの貴公子が餓死することはないのに。学者は人生を踏み外すことが多い。

〔参照〕『新釈漢文大系 詩人編6 杜甫』 明治書院 48~56頁