嫖子(ひょうし)嫖児(ひょうじ)

嫖子
【読み】ひょう‐し
【意味】うかれめ。あそびめ。遊女。女郎。淫賣婦。又、ぢごく。

嫖児
【読み】ひょう‐じ
【意味】遊蕩する者。遊び人。
【文例】
「芳原の如きは嫖児を導きて資産を土塊にせしむる者、指斥すべしと雖も、反面には細民に若干の便宜を与へ職業を与ふるもの、亦以て珍なりとす可らずや」<『日本の下層社会』横山源之助>

 

歌詠(うたながめ、うたよ・み、かえい)

歌詠

【訓読み】うたながめ、うたよ(み)

【意味】(「ながめ」は歌を詠む意の動詞「ながむ(詠)」の連用形の名詞化)

歌を詠むこと。歌を口ずさむこと。諷詠(ふうえい)。

〔例文〕「月の夜の声もほそめに窓あけて心をやれる(歌詠)うたなかめかな」<藤原信実>

〔例文〕「都の歌詠(うたよ)みたちも、幾名か連れて来ておろうな」<「新書太閤記」第七分冊/吉川英治>

〔例文〕「当年二十四歳の男で歌詠(うたよ)みである。」<「正岡子規君」/伊藤左千夫>

【音読み】か‐えい

【意味】1.声を長くのばしてうたうこと。また、その歌声。

〔例文〕「声々天の楽を供養じ、仏の功徳歌詠す」<「四子講徳論」/王褒>

2.和歌を詠むこと。また、その和歌。

〔例文〕「晴雲院勧春日法楽歌詠遺之」<大乗院寺社雑事記‐文明二年(1470年)二月一〇日>

熱閙(ねっとう/ねつどう)

熱閙

【読み】ねっとう/ねつどう

【意味】人がこみあって騒がしいこと。また、そのさま。雑踏(ざっとう)。

<参照:日本国語大辞典>

【文例】「暫らく都門熱閙の地を離れて、身を閑寂たる漁村に投ず。

これ風流韻事の旅にあらず。自から素性を養ひて、心神の快を取らんとてなり」

<『客居偶録』北村透谷>

窗前/窻前/窓前(そうぜん)

窗前/窻前/窓前

【読み】そうぜん

「窻」「窓」は、「窗」の俗字。

【意味】まどの前。窓の前。まど先。

<参照:大漢和辞典>

【文例】「団扇を握つて窻前に出れば、既に声を収めて他方に飛べり」

<『客居偶録 』北村透谷>

縦心(しょうしん)

縦心

【読み】しょうしん

【意味】心をほしいままにする。從心。

縦・・・①ほしいまま。

イ.みだら。規格から逸脱すること。

ロ.自由自在。

②みだれる。みだす。

<参照:大漢和辞典>

【文例】都城繁労の人をうらやなかれ、人間じんかん縦心しょうしんの境はなんじにあり。

<『客居偶録かっきょぐうろく 』北村透谷>

諱言(きげん)

諱言

【読み】きげん

【意味】①忌み憚って遠慮すべき言葉。悪口。また、言うことを忌み憚る。

②いさめを拒む。他人の言を忌み嫌うこと。

諱(いみな)・・・実名。死者の生前の名。生前は名と言い、死後は諱と言う。
人が死ねば諡(おくりな)を称して、生前の名を忌み嫌うことから。

<参照:大漢和辞典>

讖緯(しんい)

讖緯

【読み】 しんい

【意味】(「讖」は予言、「緯」は緯書)陰陽五行説・日月五星の運行などにより未来を占う術。また、その書。

中国の前漢末から南北朝にかけて流行し、特に王朝革命の理論として利用されたが、弊害が多いとして隋代に禁止された。

〔出典 『大漢和辞典』大修館書店〕

『日本国語大辞典』の表記の「讖緯」PDF

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陰陽五行説(おんようごぎょうせつ)

中国の春秋戦国時代頃に発生した陰陽説と五行説、それぞれ無関係に生まれた考え方が後に結合した。
陰陽五行説、陰陽五行論(おんようごぎょうろん)ともいう。
陰陽思想と五行思想との組み合わせによって、より複雑な事象の説明がなされるようになった。
陰陽道などにおいては、占術などに用いられる事もあった。

舛駁(せんばく)

舛駁

【読み】 せんばく

【意味】 入りまじって正しくない。また、純粋でないさま。

『大漢和辞典』の表記の「舛駁」PDF

【例文】 衆説舛駁し、互いに見る所を執る (顔師古「明堂論」)

〔読み〕 しゅうせつ せんばくし、たがいに みるところを とる

〔原文〕衆説舛駁、互執所見

〔出典〕『旧唐書』顔師古 明堂に関する意見の箇所

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【解説】

顔師古(がんしこ)
西暦581~645年。享年64歳。男性。
中国、唐の学者。名は籀 (ちゅう) 。字は師古。陝西せんせいの人。
祖父の顔之推(がんしすい)をはじめ、一族に学者や高名な書家が多い。
隋の時代、長安で教育に従事し、唐が興ると中書舎人、中書侍郎として詔書の起草などを行なった。
630年太宗の命を受けて五経のテキストの校定を行い、『大唐儀礼』 (100巻) の編纂に加わり、
孔穎達 (こうえいたつ) らと『五経正義』の撰集にあたった。
なかでも『漢書』に施した注が有名。
正議大夫、秘書監を経て弘文館学士に終った。

明堂(めいどう)
「明堂」とは、中国古代に帝王がそこで政教を明らかにしたとされる建物。
政治、儀礼、祭祀、教育といった、国家の重要な営みはすべてそこで行われたが、のちにそれらは朝廷、
圜丘えんきゅう(天をまつる壇)、宗廟そうびょう辟雍へきよう(学校)などに分化していったといわれる。
周礼しゅうらい』や『礼記らいき』などの経書に記載されているが、その具体的な規模についてはよくわからず、古来より経学上の重要な争点の一つであった。

旧唐書(くとうじょ)

中国五代十国時代の後晋出帝の時に劉昫・張昭遠・賈緯・趙瑩らによって編纂された歴史書。
二十四史の1つ。唐の成立(618年)から滅亡まで(907年)について書かれている。
当初の呼び名は単に『唐書』だったが、『新唐書』が編纂されてからは『旧唐書』と呼ばれるようになった。
「本紀」20巻、「列伝」150巻、「志」30巻の計200巻から成る。紀伝体の書である