うんすんかるた(宇牟須牟賀留多)

江戸初期、南蛮船で日本に渡来した西洋カルタに日本風の工夫を加えたもの。

「うんすん」の名称の由来は、元来ポルトガル語「um sum」で、最高最上の意という説と、
日本で加えた絵札の「スン(唐人)」「ウン(福の神)」から採ったという説がある。

渡来当初は「天正てんしょうかるた」と呼び、札数は48枚だった。

その後、明和めいわ(1764~1772年)の頃、大人数で遊べる様に、と、札を75枚に増やし日本風にして、「うんすんかるた」と呼んで、幕府の公認するところとなった。

「天正かるた」の48枚に、1スート(種類)と各3ランクを加えて、札の枚数を75枚にした。

【スート(種類)】

1.パオ・ハウまたは花(棍棒)
2.イスまたは剣(刀剣)
3.コツまたはコップ(聖杯)
4.オウル・オウロまたはオリ(金貨)
5.クルまたはグル(三つ巴紋の太鼓)<追加>

の5つとなった。

【ランク】

各スートに数札の1~9ランクまでは同じ、絵札が

10枚目は騎士(ウマ)、
11枚目は武者(キリ)<絵柄を変更>
12枚目は女従者(ソウタ)<絵柄を変更>
13枚目は唐人(スン)<追加>
14枚目は福の神(ウン)<追加>
15枚目は竜(ロバイ)<追加>

と、6ランクに増え、計15ランクとなった。

 

註:なお、「天正かるた」では、各スートとも1ランクには竜(ドラゴン)が描かれていたが、「うんすんかるた」になって、竜(ドラゴン)が独立し、1ランクは数字のみとなった。

 

うんすんかるた全75枚

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安永あんえい(1772~1781年)の頃、流行したが、賭博とばくに用いられたため、度々たびたび禁止された。

昭和の初め頃では、消滅寸前だったが、唯一熊本県人吉市ひとよししに伝統的な遊戯として継承されていた。
昭和40年(1965年)に遊戯法が熊本県から重要無形民俗文化財に指定された。
人吉市では「備前かるた」とも呼び、今でも大会が開催されている。

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《天正かるたの説明》

貞享じょうきょう3年(1686年)刊の『雍州府志ようしゅうふし』(黒川道祐)には、オランダ人がもてあそんだものを真似て遊び道具にしたとある。

これを「天正てんしょうかるた」と呼び、札数は4スート(種類)各12ランクで合計48枚。(4×12=48枚)

【スート(種類)】

1.パオ・ハウまたは花(棍棒)
2.イスまたは剣(刀剣)
3.コツまたはコップ(聖杯)
4.オウル・オウロまたはオリ(金貨)

の4つ。

【ランク】

各スートに数札1~9ランクまであり、それぞれの紋形が記されている。

10枚目は騎士(ウマ)、
11枚目は国王(キリ)、
12枚目は女王(ソウタ)

が描かれている絵札3ランク、計12ランクからなる。

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【補足】

天正てんしょうかるた」をトランプと比較する。

「スート」は、トランプで言えば、ハート、スペード、ダイヤ、クローバーに相当する。

「ランク」は、トランプで言えば、数札が1~10。

絵札が、ジャック(従者、家来)、クイーン(女王)、キング(王様)に相当する。

「天正かるた」は札が48枚、トランプは(52枚にジョーカー2枚を加えて)54枚。