饂麺/温麺
【読み】うんめん
【意味】汁で煮たうどんの一種。特に江戸時代、奥州白石(宮城県白石市)の名物として著名であった。
【読み】しじん
【意味】
1.市街にたちこめるちりやほこり。
〔文例〕「四隣農事促、一径市塵稀」(出典:『蹈海集』三、服部元雄・著)
2.市中の雑踏。町中のにぎわい。
〔文例〕「俗気都にも増せる市塵の中に一夜を過せり」(出典:『三日幻境』北村透谷・著)
〔文例〕「願の如く市塵を遯れて」(出典:『不言不語』尾崎紅葉・著)
3.藤沢周平の長編小説。1988年刊行。儒者、新井白石を主人公に据えた歴史小説。第40回芸術選奨文部大臣賞受賞。
【参照】『日本国語大辞典』6巻 小学館
【読み】はくり
【意味】うすいさけ。醨は、薄い酒、または、汁。
【文例】
「薄醨口ニ上ラズ。饂麵ヲ食シテ去ル。」
『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 204頁 14行目
【読み】おおた こうぞう/おほた かうざう
【略歴】
明治28年(1895年)生れ。(長野県)信州伊那出身。
大正6年 国学院大師範科卒。
旧制甲府中学~諏訪~松本高女学校教師を経て片倉工業学園講師。
昭和46年 国語問題協議会理事。
平成2年(1990年)2月 逝去、95歳。
【著書及び監修編集】
『登山』 健文社 昭和4年(1929年)
『憧れのキャンピング』 健文社 昭和6年(1931年)
『國文の單語』〔編集〕 開隆堂書店 昭和11年(1936年)
『國文法指針 學習受験』 健文社 昭和11年(1936年)
『國語敎育の現狀』 白水社 昭和16年(1941年)
『現代假名遣批判と今後の國語敎育』 日本弘報社 昭和23年(1948年)
『國語の擁護 現代假名遣ひを駁す』〔共著〕 城北書房 昭和23年(1948年)
『日本語を愛する人に』 三光社 昭和31年(1956年)
『人間土屋文明論』 短歌新聞社 昭和46年(1971年)
『小倉百人一首』〔監修〕 三弥井書店 昭和48年(1973年)
冬雷創刊60周年記念刊行の文庫版
『現代仮名遣い表記「四斗樽」圧縮版』 冬雷短歌会・発行 令和3年(2021年)
【眉雪の独言】
太田行蔵氏の略歴がネット上に見当たらなかったので、未完成だが、取り急ぎ記事にした。
【読み】じょさい-ぞうふく
【意味】災難や不運を払い、福祐増進を祈ること。
福祐・・・神のたすけ。神祐。転じて、幸福。さいわい。また、そのさま。
ちなみに、除災招福は 、災難や不運を払い、良い運や幸せを招き入れるように祈ること。
【神社仏閣の祈祷の説明】
祈祷の説明に「神仏の加護を願い、言葉によって除災増福を祈ること。また、その儀礼」とある。この説明の中の「増福」は初耳だった。「招福」の間違いでは無いか、と神社仏閣の説明を調べてみた。
例1.曹洞宗・法岩院の「祈祷」の説明
神仏のご加護を願い、除災増福を祈ります。法岩院では、ご本尊お釈迦様、鎮守(道了尊さま)へ飲食・花・灯明・香を供え、読経いたします。
例2.曹洞宗・可睡斎の「御祈祷」の説明
御祈祷を受ける人々はその厳かな雰囲気の中、神仏のご加護を願い、除災増福を祈り、頭を垂れ、焼香を行います。
例3.日枝神社の「御祈祷(御祈願)」の説明
江戸時代、赤坂の溜池を望む星が岡に鎮まり、東都第一の大社にして将軍家、諸大名が事あるごとに御祈祷(御祈願)をした「祈りの岡」日枝神社。
除災招福祈願・・・災いを祓い除け、転じて幸福が来る事をお祈りいたします。
例4.若宮住吉神社の 「祈祷」の説明
除災招福とは 災いが続くのを絶ち、良いことが起こる流れになるよう、社殿の御神前にて祈念する祈祷。
例4.高野山増福院の縁起
当院は鎮守府将軍多田満仲公の末孫多田仲光の三男源賢和尚の開基によるものです。満仲公は元弘法大師を深く尊信し高野山を師崇していました。長徳三年病床に伏すや高野山に寺院を建立、弘法大師を讃仰し一門の「福祐増進を祈るべし」と遺言しました。増福院の院号はここから来ています。
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【追記】徳川家康公の遺言
徳川家康公は生前、家臣に対し、自分の死後について「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、八州の鎮守になろう」(『本光国師日記』より)との遺言を残されました。
東照宮(とうしょうぐう)とは、江戸幕府初代将軍の徳川家康を「東照大権現」として祀る神社である。
【読み】ふ-しゃ
【読み】ふ-げき
【意味】神に仕えて、祈祷や神おろしをする人。「巫」は女性、「覡」は男性にいう。
【例文】「巫覡卜相の徒の前に首を俯せんよりは」<幸田露伴「運命」>
【解説中の語彙説明】
祈祷
〔読み〕きとう
〔意味〕神仏の加護を願い、言葉によって除災増福を祈ること。また、その儀礼。
〔例文〕「加持祈祷」
【読み】きょくらん
【意味】曲線を描いた欄干。
*六如庵詩鈔-二編(1797)二・嵯峨別業四時雑興三十首
「消遣清愁倚曲欄、亭高山気送星寒」
*虞美人草(1907)<夏目漱石>一一
「楼を描き、廻廊を描き、曲欄(キョクラン)を描き」
*白居易-題岳陽楼詩
「岳陽城下水漫漫、独上危楼凭曲欄」
【読み】こうほう
【意味】晃は、日光の合字。よって、日光山の峰のこと。
【例文】雀宮ヲ過ルヤ晃峰ヲ乾位ニ望ム
〔読み〕すずめのみや を すぐ るや こうほう を けんい に のぞ む
〔意味〕雀宮駅(宿場)を過ぎると日光山の峰が北西にみえる。
「雀宮」は、奥州街道の宿場の一つ。日光街道沿いに「雀宮本陣跡」碑石がある。
「乾位」の乾は八卦の一つ。方位としては北西を示す。
〔出典〕『下谷叢話』第三十八章 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 222頁 13行目
〔元の出典〕『赴任日録』 鷲津毅堂・著
〔註〕例文が漢字カタカナ交りになっているのは、元の漢文漢詩を読み下し文にした為。漢字の読み假名は、音訓共にひらがな、送り假名をカタカナ表記。
【詳細】
「晃峰」の晃は、元々有る漢字で、「あきらか。かがやく。ひかる。」の意味をもつ。
日本では、日と光の二字を合併して、日光の合字としても用い、日光山を晃山とした。
漢詩は近体詩が主流であり、固有名詞を二字に収める工夫をしている。
奈良時代に発布された「好字二字化令」も固有名詞の二字化に寄与した。
富士山は三文字なので漢詩漢文では、「富峰」「富岳」「富嶽」「士山」「不二」「芙蓉」「蓮岳」など二文字で表現している。
「芙蓉」「蓮岳」は、富士山の頂上に八つの峰があって八弁の蓮華(芙蓉とも)に似ていることから。
「士山」は、全国調べても富士山しかない。「不二」は、この世に二つと無いという意味だそうだ。
比叡山は、「叡山」「北嶺」。
比良山は「比良」。
越後(今の新潟県)と越中(今の富山県)の山々を「越山」。
飛騨山脈北西部の連峰を「立山」など。
日光山(男体山、二荒山とも呼ぶ)も三文字である。よって、「晃山」を作ったと思われる。
二荒山は、古称。弘法大師が音読みで「にこう」と読み、それを「日光」として今日に至ると『日光山縁起』にある。
因みに、『下谷叢話』の中で大沼枕山は、隅田川を「墨川」としている。
【雀宮から北西に観た山々を地図で確認】
雀宮から北西を遠望すると、男体山(日光山)が真正面に観える。
【『赴任日録』は『毅堂丙集 巻三』に残されている】
元々は漢文で書かれていたものを永井荷風が『下谷叢話』で読み下し文にした。
【眉雪の独言】
当初、晃峰は「かがやく峰」の意味だろうと思っていた。結果は「晃」が日光のことで固有名詞だった。
ここまで辿り着くのに、2月頃から調べて、約9ケ月かかった。
いや~、顔面蒼白、汗顔の至り、穴が有ったら入りたい。
「駅」を鉄道の駅とばかり思い込んでいた。宿場のことであった。「駅吏」の記述で気付きそうなものだが・・・
日本で鉄道が初めて開通したのは明治5年で、鷲津毅堂が赴任先・登米県(現・宮城県北東部)へ出発したのは明治2年!
汽車なんか走っている訳がない!