徽章(きしょう)とは

徽章

【読み】きしょう

【意味】

本来「旗印」を意味する言葉で、現在では、学校、会社、役職、資格などを象徴する、帽子や衣服に付けられるバッジやメダルのようなしるしを指します。身分、所属、功績、技能などを示す役割があり、校章、社章、胸章、襟章、腕章など、身につける場所や用途によって様々な種類があります。

「徽」という漢字は、常用漢字に入っていないことから「記章」と記された。ししかし、「徽章」と「記章」は、意味が異なります。
「記章」は、本来、記念に与えられるしるしのことを指します。

従って、我々がイメージしている「記章」は「徽章」と書くのが正しい。

【徽章の種類】
〔用途によるもの〕
校章・園章:学校や園の歴史や特徴、目指す姿を象徴。
社章:会社や組織のロゴマークやエンブレムを模したもの。
リボン徽章(コサージュ):式典などで来賓や参加者が胸元につける花飾りタイプ。
〔身につける部位によるもの〕
胸章(きょうしょう):胸元につけるバッジやメダル。
襟章(えりしょう):襟元につけるもの。
腕章(うでしょう):腕につけるもの。

徽章の種類

亀卜(きぼく)とは

亀卜

【読み】きぼく/かめのうら

【意味】

中国古代、いんの時代に行われた占い。
亀の腹甲ふっこうや獣の骨を火にあぶり、その裂け目(いわゆる亀裂)によって、軍事、祭祀さいし、狩猟といった国家の大事を占った。
その占いのことばを亀甲獣骨に刻んだものが卜辞ぼくじ、すなわち甲骨文字こうこつもじであり、卜という文字もその裂け目の象形である。
亀卜は数ある占いのなかでも最も神聖で権威があったが、次の周代になると、ぜい(易占えきせん)に取って代わられ、次第に衰えていった。
亀卜の風習は日本にも伝えられ、神奈川県三浦市の間口洞穴からはすでに五世紀のものと推定される遺物が出土している。〔引用事典:世界大百科事典〕

令制によるうらないの一種。「かめのうら」とも読む。
日本固有の卜占ぼくせんは、太占ふとまにと呼ばれ、鹿の肩骨を焼いて占ったが、
中国から亀甲による卜法ぼくほうが輸入されると、朝廷ではこれを採用した。
亀卜は神祇官じんぎかんつかさどり、20人の卜部うらべが担当。
亀甲きっこうは、紀伊、阿波、土佐、志摩の各国の産物によった。
卜法は、亀の甲にあらかじめ一定の線を描き、焼き現れる縦横のもんによって吉凶きっきょうを占い、これにより、まつるべき神、祭の日時、場所などを決めた。
対馬、壱岐、伊豆には、この卜法を世襲する卜部がいた。
亀卜は陰陽寮おんみょうりょうで行う式占しきせんと併用され、官寮がそのはんことにするときは、特に官卜かんぼくに従う例であった。〔引用事典:ブリタニカ国際大百科事典〕

亀卜01

対馬の亀卜の習俗

 

桐油(とうゆ)とは

桐油

【音読み】とうゆ
【訓読み】きりあぶら

【意味】

1.アブラギリの種子から得られる赤黄色の油。乾燥が速く、耐水性がある。日本では古くから桐油紙とうゆがみ番傘ばんがさなどに使用。

2.「桐油紙とうゆがみ」「桐油ガッパ」の略。

 

桐油

勾欄/高欄(こうらん)とは

勾欄/高欄

【読み】こう-らん

【意味】

1.橋・回廊・廊下などにつけた欄干らんかん擬宝珠ぎぼうし勾欄・回り勾欄などがある。

2.牛車ぎっしゃの前後の口の下の方にわたした低い仕切り板。《高欄》

3.椅子のひじかけ。《高欄》

4.チャイナ宋代の都市の盛り場にあった演芸場。舞台に勾欄(欄干)をめぐらしていたことによる名という。

勾欄

擬宝珠と勾欄

庚申塚(こうしんづか)とは

庚申塚

【読み】こうしんづか

【意味】

庚申塔こうしんとうは、庚申塚こうしんづかともいい、チャイナより伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。
庚申講こうしんこうを3年18回続けた記念に建立されることが多い。
塚の上に石塔を建てることから庚申塚、塔の建立に際して供養を伴ったことから庚申供養塔とも呼ばれる。

庚申塚

錫杖(しゃくじょう)とは

錫杖

【読み】しゃく-じょう

【意味】
遊行僧(ゆぎょうそう)が携帯する道具(比丘十八物)の一つである杖。
梵語では「カッカラ」といい、有声杖、鳴杖、智杖、徳杖、金錫ともいう。

錫杖を持つ大師像

錫杖の一例

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【詳細】

錫杖は、比丘十八物びくじゅうはちもつの一つで、修行僧が野山を巡業する時、猛禽や毒虫などの害から逃れるため、これをゆすって音を立てながら歩いた。
錫杖は常に浄手(右手)に持ち不浄手(左手)に持つことを禁止されている。
村落に入ってからは、家々の門前にて乞食(こつじき)するときにこれをゆすって来意を知らせた。
この歩きながら使うものを錫杖、また法要中に法具として使う短いものを手錫杖といい、その音色により『すず』の字があてられた。

巡錫に用いられる錫杖は、ほぼ等身で、杖頭部・木柄部・石突の部分に分かれる。杖頭部は仏像や五輪塔を安置し大環に小環を六個あるいは十二個付ける。
法要で用いる錫杖は、柄を短くしたものであるが、杖頭部が三股九環・四股十二環のものもある。

錫杖は『錫杖経』に説かれるように厄災や魔をはらう法具である。
仏像に於いては、千手観音・不空羂索観音・地蔵菩薩の持物として錫杖を見ることができる。通常十一面観音様の右手は垂下すいげして数珠じゅずを持つだけである。

〔語彙説明〕

〇比丘十八物(びくじゅうはちもつ)・・・大乗仏教の比丘(修行僧)が常備すべき十八種の法具を指す。
楊枝(ようじ)、澡豆(そうず)、三衣(さんね)、瓶(びよう)、鉢(てん)、坐具(ざぐ)、錫杖(しやくじよう)、香炉(こうろ)、漉水囊(ろくすいのう)、手巾(しゅきん)、刀子(とうす)、火燧(かすい)、鑷子(にょうす)、縄床(じょうしょう)、経(きょう)、律(りつ)、仏像(ぶつぞう)、菩薩像(ぼさぞう)。

〇比丘(びく、梵: Bhikṣu)・・・仏教において出家し、具足戒を守る男性の修行者である。女性の出家修行者は比丘尼(びくに, Bhikkhunī)。
梵語形のBhikṣuの音写から苾芻(びっしゅ)ともいう。日本では一般には僧侶、お坊さんと呼ぶ。
比丘の生活は涅槃に達することを目的としており、質素な生活を送ることで自身の修行の助けとなるよう設計されている。
元来は「食べ物を乞う人」という意味の言葉。

詰む(つむ)とは

詰む

【読み】つ‐む

【意味】
1.布地などの目が密になる。
<文例> 「 布目の詰んだ生地を切る 」
2.将棋で、王将が囲まれて逃げ場がなくなる。
<文例> 「 あと一手で詰んでしまう 」
3.行きづまる。窮する。
<文例> 「 理に詰む 」

男子三日会わざれば刮目して見よ

男子三日会わざれば刮目して見よ

【読み】だんし みっか あわざれば かつもくして みよ

【意味】日々鍛錬する人が居れば、その人は三日も経つと見違える程成長しているものだ。

【原文】士別三日、即更刮目相待

【読み下し文】「士別れて三日なれば、即ち更に刮目して相待すべし」

【読み】し わかれて みっかなれば すなわち さらに かつもくして あたいすべし

【出典】『三国志演義』

【語源】
三国志の三国の一国、呉の国に、呂蒙という勇猛な武将がいた。
呂蒙は、その無鉄砲とも言える勇猛さで、呉の国はおろか他の二国、魏や蜀にもその名が轟いていた。
その一方呂蒙は無学だったので、君主の孫権が少しは学問を学び、人間の幅を広げるよう呂蒙に諭した。
それから時が流れて、呉の国有数の知将魯粛が、前線司令官として赴任する途中に呂蒙を訪ねた。
呂蒙は、魯粛の赴任先の正面に、当時中国で最強と言われた蜀の関羽将軍が指揮官として居ると聞いて、
関羽の性格を分析し、適切な献策をした。
呂蒙は学問に励み、いつしか勇に智が伴う武将になっていたのだ。
武骨な呂蒙しか知らない魯粛は驚き、
「いつまでも、呉の城下を走り回っていた蒙ちゃんと言う訳ではないなぁ(復た呉下の阿蒙にあらず)」
と笑ったところ、呂蒙は、「士別れて三日なれば刮目して相待すべし」と反論した。

【人物略歴】

〇呂蒙(りょ もう)・・・178年~219年は、中国後漢末期の武将。孫策・孫権に仕えた。
〇魯粛(ろ しゅく)・・・172年~217年は、中国後漢末期の武将・政治家。字は子敬(しけい)。袁術・孫権に仕えた。赤壁の戦いでは降伏派が多い中、主戦論を唱え周瑜と共に開戦を主張した。