佚居/逸居(いっきょ)

佚居/逸居

【読み】いっ‐きょ
【意味】あそびくらすこと。のんきにくらすこと。
安楽に暮らすこと。怠けて気ままに暮らすこと。
【例文】
「 佚居して空しく衣食するの道理はある可らず」(福翁百話 諭吉)
「中世縉紳の佚居の風を素描する」

〔漢検対象級 1級〕

扱帯(しごきおび/しごき)

扱帯/扱き帯

読み:しごきおび

意味:元々は、武家の女性や女児が家の中で着物の裾をお引きずりに着ていて、外出時に裾をたくし上げて、ひもで締めた腰紐が原形。
それが抱え帯とよばれ、扱帯の原型となった。
抱え帯は、懐剣の包みや筥迫(箱セコ:はこせこ)と同じ生地で作られる細い帯状のもの。

帯の下に巻いて、左の後ろ脇で蝶結びにして垂らします。

 

七五三の振袖の各部の名称01七五三の振袖の名称02

 

〇お引きずり ・・・ 着物の裾を引きずるように着ること。また、そのように仕立てた着物。

〇筥迫/箱セコ(はこせこ)・・・江戸時代に奥女中や中流以上の武家の若い娘が持った鼻紙入れ。現在は和服の礼装の際の装飾として使われる。

半紙(はんし)全壊紙(ぜんかいし)半懐紙(はんかいし)

半紙(はんし)、全壊紙(ぜんかいし)、半懐紙(はんかいし)

和紙の規格。大きさによって、3種類に分けられる。

半紙:書道半紙と同じ242x333mm。
全壊紙:363x500mm。
半懐紙:全懐紙の半分で252x363mm。

日本では近世に入ると紙の需要が飛躍的に増大し、各地に和紙の産地が生まれ大量に流通するようになった。
明治時代になり、紙の産地では1904年(明治37年)頃に半紙の生産が急激に落ち込んだ。
1903年(明治36年)から国定教科書が洋紙に切り替えられ、学校教育でも洋紙が急速に普及したためだ。
毛筆は学校ではもっぱら習字の時間に使われるのみとなった。

書道で使用される半紙は 約243x333mm(曲尺で 8寸 × 1尺1寸)であり、この規格が書道・習字の半紙のほぼ全てを占める。

半紙は、杉原紙の寸延判を全紙としてこれを半分にした寸法の紙。
延紙(延べ紙)を半分にした寸法の紙と定義されることもある。

辞書類では延紙(延べ紙)を半分にした寸法と説明されることが多いが、久米康生氏(註1)から延紙の判型は、もともと半紙よりも小さく定義が矛盾していると指摘されており「杉原紙の寸延判」を基準にした再定義がなされている。

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【註解】
註1.久米康夫氏

久米 康生(くめ やすお、1921年3月10日-2015年)は、和紙研究家。

徳島県名西郡石井町生まれ。筆名・芳水康史。1943年東京帝国大学文学部東洋史学科中退。
1989年和紙文化研究会代表、2011年名誉会長。

兄哥(あにき/あにい/せなあ)

兄哥

【読み方】あにき/あにい/あに/せなあ/あにや/にい

兄貴(あにき)

1.兄を敬って、または、親しんでいう語。

2.若者・職人・やくざなどの間で、勢力があり、頭株(かしらかぶ)に推される者。

3.年上の男。

〔補説〕「あにぎみ」の音変化か。「貴」は当て字。

 

兄い(あにい)

1.あに。

2.勇み肌の若者。また、その若者を呼ぶ語。「いなせな兄い」

 

兄(あに)

1.きょうだいのうち、年上の男。⇔弟。

2.(「義兄」とも書く)妻や夫の兄。また、姉の夫。義兄(ぎけい) 。

3.(「あにさん」などの形で)年配者が若い男を親しんでいう語。

 

兄なあ(せ‐なあ)

(「せ(兄)な」の音変化)<参考下段>

1.田舎の若い男性。

「村の佳人才子たる女 (あま) っ子せなあが屈竟の出合場処として」<魯庵・社会百面相>

2.兄。また、長兄。

「小梅のせなが柴の戸をたづねて」<人・梅児誉美・三>

「兄さんとしやれてせなあに逢ひに出る」<誹風柳多留9>

 

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【隠語としての「兄哥」(あにき)の意味】

比較的高級なる官吏、又は刑事、巡査等を云ふ。

 

【参考】

夫な/兄な/背な(せ-な)

(「な」は接尾語)女性が、夫・恋人または兄弟など親しい男性をいう語。

「ま遠くの野にも逢はなむ心なく里のみ中に逢へるせなかも」<万葉集 三四六三>

猪牙舟(ちょきぶね)ちょろ船(ちょろぶね)

猪牙舟

【読み】ちょきぶね

【意味】茶船の一種で、船首を鋭くした水切りのよい軽快な小船。

普通船頭1人で漕ぎ、江戸では吉原通いの山谷船として有名であるが、
その軽便な点を利して小荷運送や磯漁にも使われた。

語源は、船首を猪の牙のように長く突き出しているからの説がある。

関西では「ちょろ」「ちょろ船」という。

 

猪牙舟(ちょきぶね)

茶船(ちゃぶね)

1.猪牙船や荷足船(にたりぶね)に代表されるような小人数の客
や小荷物を運送する小船。
2.港湾や河川で停泊中または航行の船に飲食物を売る小船。にうりぶね。うろうろぶね。
3.投網、ざこ、貝類とりなどの磯漁に使う小船。
4.利根川筋では、薪炭、木材、米穀などを運送した中型の荷船のことで、同じ川筋の
高瀬船や平田船よりも小型なのが特徴。
5.港湾にあって沖がかりしている廻船と陸岸との間を往復して荷物を運送する船で、
瀬取船、上荷船と同様のもの。

ちょろ船(ちょろぶね)

瀬戸内海を中心に、西は北九州から東は紀伊半島・東海道・東京湾の各地で使われていた
小型の和船。長さ7m、肩幅 1.2m程度のもので、船首が箱造になった、2挺櫓の軽快な
船であったというところが多い。

江戸では町奉行所の巡邏(じゅんら)船としても利用され、瀬戸内海の木江(きのえ)港
では女が停泊中の船に乗り込むのにも使っていた。

「ちょろ」とは形の小さいことを意味することばであるという。

唐臼(からうす)

唐臼

読み:からうす/とううす

意味:江戸時代の脱穀具。搗き臼の一種。

臼は地面に固定し、杵をシーソーのような機構の一方につけ、足で片側を踏んで放せば、杵が落下して臼の中の穀物を搗く。米や麦、豆など穀物の脱穀に使用した。踏み臼ともいう。〔wikipedia〕

 

すり臼系統の唐臼は、上臼に取り付けた遣木 (やりき) を数人で回し、籾 (もみ) がらをのぞいて玄米にする。

寛永初年(16世紀前半)にチャイナからもたらされ、従来の木の臼より能率がよく、享保(1716〜36)頃から普及。

つき臼系統の唐臼もあり、これは臼の部分を地面にすえ、杵にあたる部分を足で踏み、脱穀する。

〔出典:旺文社日本史事典〕

 

唐臼(からうす/とううす

 

てこの原理を応用した足踏み式の臼。臼と杵を取付けた棹木(さおぎ)から成り、支点をはさんで棹木の一方の端を踏んで用いる。

日本では平安時代の文献にすでに現れているが、一般に普及したのは江戸時代になってからで、初め米屋などで米の精白に用いられていたものがのちに農家にも広まり、籾ずりなどにも用いられた。

〔出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典〕

江戸時代の色男「丹次郎」

丹次郎(たんじろう)とは『春色梅児誉美』の主人公。複数の女性に愛され、色男の代名詞となった。

『春色梅児誉美』(しゅんしょくうめごよみ)は、江戸時代の人情本。

為永春水ためながしゅんすい・作。『春色梅暦』とも表記する。『梅暦』とも略称される。

1832年(天保3年) – 1833年(天保4年)刊行。4編12冊。柳川重信・柳川重山画。

美男子の丹次郎と女たちとの三角関係を描いたもの。人情本の代表作と言われる。

丹次郎と米八と仇吉

〔概要〕

1829年(文政12年)の火事で焼け出された春水が、単独で再起をかけた作品で、人情本の代表作とされる。

吉原と深川の芸者、女浄瑠璃、女髪結と、当時の注目を集めた女性を配し、恋愛の諸相を巧みな会話文とともに描いて人気を博した。

その人気は、米八と仇吉の錦絵が出版されたり、名古屋の芸者が米八と名前を変えたり、丹次郎が色男の代名詞となったりするほどであった。

この作品で、春水は戯作者としての名を高めた。

内容は、江戸の町を背景に悪巧みによって隠棲生活を強いられている唐琴屋からことやの美青年丹次郎を慕う芸者・米八、仇吉の2人と、許婚いいなづけのお長との交渉を描いている。