君と一夕の話は、十年の書を讀むに勝る。

【読み下し文】

きみ一夕いっせきはなしは、十年じゅうねんしょむにまさる。

【原文】

與君一夕話。勝讀十年書。

【説明】

君のやうな博學多識の意氣いき相投あいとうじて、一夕いっせき歡談かんだんほしいままにすることが出来できるとは、まさえきを受け知能を啓發けいはつせらるゝこと、十年のあいだ、讀書に親しめる以上の價値かちがある。

けだし、無師獨悟むしどくごとて、ひとまなんで獨りさとるがごときは、おおむ偏頗へんがく見界けんかいに終始するものなるがゆえに、良友りょうゆうを得て、共に語り、腹藏ふくぞうなく意中いちゅう披瀝ひれきし合つて疑團ぎだん氷解ひょうかいするにまされるは無しと云へる意であろう。

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【語彙説明】

○無師獨悟(むしどくご)・・・特定の師匠や指導者を持たず、自分自身で物事を理解すること。

○見界(みさかい)・・・見境と同じ。物事の見分け。善悪などの判別。識別。

○疑團/疑団(ぎだん)・・・心の中にわだかまっている疑いの気持ち。

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【出典】

『醉古堂劍掃講話』「情之巻」 p.140~141
著作者:大村智玄 刊行所:京文社書店

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【原出典】

『酔古堂剣掃』(すいこどうけんそう)「情」(じょう)

中国・明朝末の陸紹珩(字:湘客)が古今の名言嘉句を抜粋し、収録編纂した編著。

儒冠各分ヲ守リ、紈袴ノ塵ヲ追ハズ

儒冠じゅかん おのおの まもリ、紈袴がんこちりハズ」(文1)とは、どんな意味か?

これだけ読んでも、残念ながら、ちっとも解らない。

この一文の元の文章を知って少し理解できる。

元の出典は、杜甫とほの詩にあった。

紈袴がんこ 餓死がしせず。儒冠じゅかん 多く身をあやまる。」(文2)

この意味は、

きぬ下穿したばきの貴公子きこうし餓死がしすることはないのに。学者は人生をはずすことが多い。」

と云うもの。

しかし、これだけじゃあ、ピンと来ない。

もう少し内容や背景をまで踏み込んでみる必要がある。

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【杜甫の詩の背景】

唐の第九代皇帝、玄宗げんそうは、国中から人材を集めようと科挙試験を実施したが、一人も合格者が出なかった。

時の宰相さいしょう李林甫りりんぽが、自分の地位を危ぶんだのだろう、不正操作した結果だと言われている。

昔はひどいことをしたもんですねえ。

あっ!そうか。今もチャイナは酷いや!あははは

杜甫は少年時代からその秀才振りは有名で将来を期待されていた。

本人も自覚しており、官吏を目指した。

杜甫は、有力者の宴席に顔を出したりなど、自ら売り込むと言う面白い働きかけをしている。

見え透いているが、可愛がられた。推薦を取り付け、科挙の受験に漕ぎつけた。

しかし、その甲斐かいなく(李林甫の不正操作の煽りを受けて)、合格できなかった。その落胆は察するに余りある。

その杜甫が、長安を去る時に世話になった韋左丞丈いさじょうじょうに宛てた詩(文2)の冒頭の二句が、これ。

杜甫の詩は、自虐的で情けない男を演じ、同情をく様な、ちょっと滑稽こっけいな文体なのである。

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【杜甫の詩の詳細】

〇「紈袴」とは、貴族の子弟の履くズボン或いは下着。「紈」は白い上質の絹。
『漢書』叙伝上に班固自身の出自のよさを言って、「綺襦(上半身に着る絹の下着)紈袴の間に在り」。
〇「儒冠」とは、儒者のかぶる冠。「儒冠」によって儒者、文筆を事とする者を表す。

二句は良家の子弟が困窮することはありえないのに対して、学問・文学に携わると落伍者になることをいう。
身分の高い者は「綺襦」で表すこともできるのに、あえて下半身に着ける「紈袴」で表し、低い者は逆に頭に着けるもので表している。
上下の転倒に皮肉か籠められる。加えて「袴」を下着に限定すれば、皮肉は更に増す。

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【文1の意味】

儒冠じゅかん おのおの まもリ、紈袴がんこちりハズ」とは、

「成り上がりの学者は、身分をわきまえ、貴族の子弟の仲間に成ろうなどとするべきではない」

と言う意味でしょうね。

貴族の子弟は、自分達の権利・役得を守ることに敏感で、能力の高い余所者を嫌う。

事実、杜甫の詩(文2)の後の句で登場する李邑は、杜甫が心から敬愛していたした人物だったが、冤罪によって殺されている。宰相・李林甫の陰謀だった。

この当時、玄宗皇帝は楊貴妃に惑溺わくできし国政がお留守。そのスキに李林甫は権力をほしいままにしていた。

必然的に時代は暗転していき、やがて安碌山あんろくざんの乱が起こって、国は滅びた。

いや~、毎度お馴染みの亡国の末路ですが、今のチャイナ、ロシア、北朝鮮の「悪党三ヶ国」も、この道を早く辿たどってくれないかなあ~、とねがうのは私ばかりじゃないでしょうね。あははは

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【出典】

〔原文〕儒冠各守分。不追紈袴塵。

〔訓読〕儒冠じゅかん各分おのおのぶまもリ、紈袴がんこちりハズ。

〔書籍〕『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 155~156頁

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【元の出典】

〔題〕奉贈韋左丞丈二十二韻。杜甫。

〔原文〕紈袴不餓死。儒冠多誤身。

〔訓読〕紈袴餓死せず。儒冠多く身を誤る。

〔現代語訳〕

韋左丞殿に贈り奉る。

絹の下穿きの貴公子が餓死することはないのに。学者は人生を踏み外すことが多い。

PDF形式の「奉贈韋左丞丈二十二韻」の一部

〔参照〕『新釈漢文大系 詩人編6 杜甫』 明治書院 48~56頁

學道成ること無く鬢已に華

【原文】學道無成鬢已華。

【読み下し文】學道がくどう成ること無く鬢已びんすで

【詩意】道を學んで成就じょうじゅせざるうちびんすで華白かはくとなる。

【出典】蘇東坡そとうばの詩「三朶花さんだか

全文のPDFは、こちら「三朶花」蘇東坡

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【眉雪の閑話ひまばなし

「鬢已華」の語句が『下谷叢話』にあった。

調べてみると蘇東坡の「三朶花」の冒頭の句であった。

〔出典〕『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 251頁 14行目

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【略歴】

蘇 軾(そ-しょく)/蘇 東坡(そ-とうば)

生年:1036年1月8日
没年:1101年8月24日、65歳没

チャイナ北宋の政治家、文豪、書家、画家。政治家としての活躍の他、宋代随一の文豪として多分野で業績を残した。文学以外では、書家、画家として優れ、音楽にも通じた。

号は東坡居士(とうばこじ)、字は子瞻(しせん)、諡は文忠公。
号から、蘇東坡(そとうば)とも呼ばれ、坡公や坡仙などの名で敬慕された。

江湖載酒とは

『下谷叢話』に「江湖載酒甘薄倖」の一文がある。

解説者の読み下し文では、「江湖こうこ酒ヲセテ薄倖はっこうあまンジ」としている。

「江湖」とはチャイナの揚子江ようすこう洞庭湖どうていこだろうと想像する。

しかし、『下谷叢話』の背景は、日本の関東周辺だ。

関西なら琵琶湖と淀川に模したものか、とも思うのだが、疑問である。

さて、この一文は、どう理解したら善いのか?

 

これは、杜牧とぼく七言絶句しちごんぜっく遣懐いかい」(おもいをる)の一句が元にある。

【原文】落魄江南載酒行

【読み下し文】江南こうなん落魄らくたくし 酒をせて行く

【現代口語文】水辺のさと江南で、自由奔放ほんぽうに遊んだ若き日々、どこに行くにも酒びたりであった。

【語彙説明】

〇落魄・・・「ラクタク」と読み、自由気まま、放縦不羈ほうしょうふきを表わす。通常の「ラクハク――落ちぶれて漂泊ひょうはくする」意味ではない。
『才調集』は「落托」、晩唐の孟棨『本事詩』高逸篇は「落拓」としている。

〇江・・・揚州・宣州・洪州などの地を指す。
晩唐の高彦休『唐闕史』(『太平広記』所引)・『本事詩』・『唐音統籤』などは、「江」としている。

【参照】『杜牧詩選』 岩波文庫 2004年12月15日第2刷

PDFで「遣懐」全文と解説は、こちら

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「江湖載酒甘薄倖」

解説者の読み下し文「江湖こうこ酒ヲセテ薄倖はっこうあまンジ」。

【出典】『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 135頁 1行目と13行目

「泊秦淮」作・杜牧

題:泊秦淮  作:杜牧

煙籠寒水月籠沙

夜泊秦淮近酒家

商女不知亡國恨

隔江猶唱後庭花

 

題:秦淮に泊す

煙は寒水を籠め 月は沙を籠む

夜 秦淮に泊まりて酒家に近し

商女は知らず 亡国の恨み

江を隔てて猶お唱う 後庭花

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PDFで詳しく。「秦淮に泊す」 作:杜牧

翩翩濁世佳公子(へんぺん じょくせの かこうし)

翩翩濁世佳公子/翩々濁世之佳公子

【読み】へんぺん – じょくせ – の- かこうし

【意味】(平原君は)翩翩たる濁世の佳公子なり。

この軽々しく落ち着かない濁り汚れた世の中に於いても、(平原君は)品格高き貴公子である。

○翩々(へんぺん)・・・ 軽々しく落ち着かないさま。

文例「何うかして翩々たる軽薄才子になりたい」〈夏目漱石『彼岸過迄』〉

○濁世(じょくせ/だくせ)・・・ 仏教で、濁り汚れた世の中。末世 (まっせ) 。

○佳公子(かこうし)・・・ 品格の高き貴公子。

【出典】

『史記』「平原君虞卿列伝 第十六」

太史公の平原君に対する評の一節。

「平原君、翩翩濁世之佳公子也」

【追記】

西園寺公をおくる徳富蘇峰の一文に「翩々濁世佳公子」という文句がある。

開高健『輝ける闇』に登場する山田氏の漢詩

『輝ける闇』は開高健が、ベトナム戦争中、ルポライターとして米軍に従軍した体験談を小説化したものである。

この中に出て来る七言絶句の漢詩がある。

日本新聞の山田氏が、主人公に餞別せんべつにと言って贈った自作の詩である。

山田氏は、北京官話と広東語の達人で、五年間香港に支局長として住み、論説委員に昇格して東京へ引き揚げた人物である。

書中では、読み下し文や現代口語訳が付されいないので、今回、私が意訳を試みた。

【原文】

臨風懐北無雁信
江水東流是那辺
惟見洋場梧桐老
何顔可待重逢筵

【拙訳】

北風を顔に受けて(北の戦場へ向った)君をおもうが、便たより無く。

長江ちょうこうの水の如く、今頃、君はどのあたりを漂って居るのだろうか。

洋場(外国人居留地)の神様の止まり木(行きつけの酒場)も枯れ落ちて(古びて)ゆく。

(僕と君は生きて再会できるのだろうか)僕はどんな顔をして、待っているのだろうか。

いや、待てるのだろうか。

また君と酌み交わす日を。

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『輝ける闇』 著者:開高健 発行所:新潮社 昭和43年(1968年)4月30日発行

七言絶句の漢詩は、単行本の84ページ目に記載あり。

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【語彙説明】

○臨風 ・・・ 風に向って。風に臨む。秋風に吹かれつつ〔参考:「臨風懐謝公」李白〕

○懐北 ・・・ 北をおもう。北をしのぶ。

臨風懐北=「風に臨んで北を懐わんとは」

○雁信 ・・・ 手紙

○江水東流 ・・・ 「長江の水がとうとうと東に向って流れ」〔参考:「襄陽歌」李白〕

○那辺 ・・・ どのあたり。どのへん。

是那辺=「是を那辺と」

○惟見 ・・・ 「これを見る」「だ見る」〔参考:「黄鶴楼にて~」作・李白〕

○洋場 ・・・ 西洋化した場所。

註:李香蘭のヒット曲に『十里洋場』がある。「十里洋場」は外灘(上海の観光エリア)にあった上海租界の別名。要するに外国人居留地。

○梧桐 ・・・ 梧桐あおぎり。あおぎり科の落葉高木。古代「神様(鳳凰)の止まり木」とされた。

○何顔 ・・・ 原文「愧我何顔看父老」読み下し「我何われなんかんばせあってか父老ふろうまみえん」

〔参考:『史記』の項羽の故事を踏まえている。『凱旋』作・乃木希典〕

○可待 ・・・ 「けんや」

○重逢筵 ・・・ 「重ねて筵に逢う」意味「また宴席で逢おう」

○重逢 ・・・ 原文「登山絶頂重逢嶺」読み下し「登山絶頂重ねて嶺に逢う」〔『途中怨』作・徐氏女〕

原文「知己重逢老蠹魚」読み下し「知己重ねて逢う老蠹魚」〔作・森春涛〕

老蠹魚(ろうとぎょ/しみ)・・・本ばかり読んでいる人。読んでも理解できない人を嘲笑して言う。

○筵 ・・・ 宴席。

原文「逮従幽荘尚歯筵」読み下し「幽荘ゆうそうの尚歯の筵にしたがふにおよびて」〔作・菅原道真〕

尚歯筵・・・老人を尊敬し、その高齢を祝うために、招いて催す宴。

名優りて質孱し/名勝りて質孱し

鴎外の漢詩の一片である。

【訓み下し文】一笑す 名優りて 質却って 孱きことを

【読み】いっしょうす めいまさりて しつかえって よわきことを

【訓み下し文】一笑す 名は優にして 質却つて 孱きことを

【読み】いっしょうす なはゆうにして しつかえって よわきことを

【訓み下し文】一笑す 名優 質却って 孱きことを

【読み】いっしょうす めいゆう しつかえって よわきことを

【眉雪の口語訳】(自分は)名誉を得たが、未だ中身が伴っていない。 一笑に付すべきだ。

【実際の意味】聞こえのいい学士号をもらったが、実際は、まだ浅学非才にすぎない。一笑に付すべきだと思う。

【語彙の読みと解釈】

実は、「名優」の読み方が、「めいゆう」と「めいまさりて」とに学者の見解が分かれている。

名優(めいゆう)の場合、「名優」とは名詞で「有名な俳優」のこと。

この「名優(めいゆう)」が、通説であった。(註1)

意味は、「聞こえがいい、または、エリート」と云うような比喩表現だろうと説明されている。

名優りて(めいまさりて)の場合、「名」は名詞で「優りて」は動詞。(註2)

小島憲之博士は、『ことばの重み-鴎外の謎を解く漢語-』の中で、「名(な)は優(ゆう)にして」と読む方がしぜんである。小説『舞姫』の中にも似た引用がある、と書かれている。

やはり、日本人としての肌合いからも、「名優(めいゆう)」はなかろう。

「名は優にして」または「名優りて」(めいまさりて)と読み下す方が極しぜんで解り易い、と感じる。

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【原文】一笑名優質却孱 依然古態聳吟肩

【訓み下し文】

一笑す 名(な)は優(いう)にして質却(しつかへ)つて孱(よわ)きことを、

依然(いぜん)たる古態(こたい)吟肩(ぎんけん)を聳(そび)やかす。

【出典】森鴎外『航西日記』の中の漢詩の一部抜粋

【参照】『ことばの重み-鴎外の謎を解く漢語-』 著・小島憲之 新潮選書 昭和59年(1984年)発行

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平成24年度 日本漢字能力検定試験1級(一)29問に 「名りて質孱し」と出題された。

恐らく「名優」論争に関わらない様、「優」を「勝」としたのではないか。

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【眉雪の追記】

〇「名優」論争に関係なく、この一行の大意は変わらない。

〇名優りて

名誉が実質に勝る=自分の実力より名誉が先行した、の意味。

〇鴎外が「一笑」した相手は自分自身であり、自分を戒めた意味。

現代で譬えると、弱冠十九歳の棋士・藤井聡太三冠(棋聖・王位・叡王)の謙虚な発言に散見される。「名優りて質孱し」の戒めと似た高い志を心中に秘めているに相違ない。

〇孱

〔音読み〕サン、セン
〔訓読み〕おと(る)、よわ(い)
〔意味〕1.よわい。小さくて弱々しい。2.おとる。おとっている。

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【註解】

註1.名優(めいゆう)と解釈した学者

神田孝夫教授(『若き鴎外と漢詩文』)

小堀桂一郎教授(『若き日の森鴎外』)

小田切進教授(『近代日本の日記』)

陳生保教授(『森鴎外の漢詩 上』)

 

註2.名優りて(めいまさりて)と解釈した学者

小島憲之のりゆき教授(『ことばの重みー鴎外の謎を解く漢語ー』)は、従来の解釈に異を唱え「名(な)は優(ゆう)にして」と新解釈を示した。

これに同調したのが神田孝夫教授。従来の主張を撤回し「一笑す 名(な)は優(ゆう)にして質却って孱(せん)なることを」とむことに改めたい、とした。