亀卜(きぼく)とは

亀卜

【読み】きぼく/かめのうら

【意味】

中国古代、いんの時代に行われた占い。
亀の腹甲ふっこうや獣の骨を火にあぶり、その裂け目(いわゆる亀裂)によって、軍事、祭祀さいし、狩猟といった国家の大事を占った。
その占いのことばを亀甲獣骨に刻んだものが卜辞ぼくじ、すなわち甲骨文字こうこつもじであり、卜という文字もその裂け目の象形である。
亀卜は数ある占いのなかでも最も神聖で権威があったが、次の周代になると、ぜい(易占えきせん)に取って代わられ、次第に衰えていった。
亀卜の風習は日本にも伝えられ、神奈川県三浦市の間口洞穴からはすでに五世紀のものと推定される遺物が出土している。〔引用事典:世界大百科事典〕

令制によるうらないの一種。「かめのうら」とも読む。
日本固有の卜占ぼくせんは、太占ふとまにと呼ばれ、鹿の肩骨を焼いて占ったが、
中国から亀甲による卜法ぼくほうが輸入されると、朝廷ではこれを採用した。
亀卜は神祇官じんぎかんつかさどり、20人の卜部うらべが担当。
亀甲きっこうは、紀伊、阿波、土佐、志摩の各国の産物によった。
卜法は、亀の甲にあらかじめ一定の線を描き、焼き現れる縦横のもんによって吉凶きっきょうを占い、これにより、まつるべき神、祭の日時、場所などを決めた。
対馬、壱岐、伊豆には、この卜法を世襲する卜部がいた。
亀卜は陰陽寮おんみょうりょうで行う式占しきせんと併用され、官寮がそのはんことにするときは、特に官卜かんぼくに従う例であった。〔引用事典:ブリタニカ国際大百科事典〕

亀卜01

対馬の亀卜の習俗

 

桐油(とうゆ)とは

桐油

【音読み】とうゆ
【訓読み】きりあぶら

【意味】

1.アブラギリの種子から得られる赤黄色の油。乾燥が速く、耐水性がある。日本では古くから桐油紙とうゆがみ番傘ばんがさなどに使用。

2.「桐油紙とうゆがみ」「桐油ガッパ」の略。

 

桐油

勾欄/高欄(こうらん)とは

勾欄/高欄

【読み】こう-らん

【意味】

1.橋・回廊・廊下などにつけた欄干らんかん擬宝珠ぎぼうし勾欄・回り勾欄などがある。

2.牛車ぎっしゃの前後の口の下の方にわたした低い仕切り板。《高欄》

3.椅子のひじかけ。《高欄》

4.チャイナ宋代の都市の盛り場にあった演芸場。舞台に勾欄(欄干)をめぐらしていたことによる名という。

勾欄

擬宝珠と勾欄

庚申塚(こうしんづか)とは

庚申塚

【読み】こうしんづか

【意味】

庚申塔こうしんとうは、庚申塚こうしんづかともいい、チャイナより伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。
庚申講こうしんこうを3年18回続けた記念に建立されることが多い。
塚の上に石塔を建てることから庚申塚、塔の建立に際して供養を伴ったことから庚申供養塔とも呼ばれる。

庚申塚

鴨嘴(かものはし)とは

鴨嘴

【読み】かものはし

【意味】鳥に近い獣。かわうそに似て小、あごは長くして角鞘かくしょうかぶり、かもくちばしかたちをなすより云ふ。

【参照】『大漢和辞典』 大修館書店

【語彙説明】

〇角鞘(かくしょう)・・・ウシやヤギなどの一部の動物が持つ洞角どうかくを構成する、ケラチンというタンパク質でできた外側の鞘(さや)のこと。

〇洞角(どうかく)・・・ウシ科とプロングホーン科の角である。
生きた骨の核を、タンパク質とケラチン(角鞘)が覆っている。角鞘のみに着眼すると空洞であることから、このように呼ばれる。角鞘は皮膚の表皮が強く角質化したものである。

日待塚(ひまちづか)/日待塔(ひまちとう)とは

日待塚

【読む】ひまちづか

日待塔

【読む】ひまちとう

【意味】日待は、朝方まで人が集まって飲食する信仰のこと。その供養の記念として造立した塔が日待塔である。

「日」は太陽のこと、年月日の意味ではない。日の出を待って夜明しをする場合「日待」と呼び、月を拝む場合は「月待」と呼ぶ。

〔日待の詳細〕

村内の仲間の者が集まって、ある決まった日の夕刻より一夜を明かし、翌朝の日の出を拝して解散する行事。

その期日は土地によって異なるが、正月、五月、九月の十六日とする所や、月の二十三日を重んずる所もある。

なかでも六月二十三日が愛宕権現あたごごんげんや地蔵菩薩ぼさつの縁日で、この日を日待とする所もある。

また、庚申講、こうしんこう二十三夜講やこうの日を日待とする所も、日待講と呼ぶ所もある。
さらに、日待小屋という建物があり、村の各人が費用を持参する例もある。

〔日待、月待、庚申待の違い〕

日待ひまちとは、近隣の仲間が集まって特定の日に徹夜してこもり明かし、日(太陽)の出を拝む行事。正月、五月、九月などに行われる。

月待つきまちとは、陰暦で月の十七日、十九日、二十三日などの夜、月の出るのを待って供物を供え、酒宴を催して月を祭ること。特に、正月、五月、九月の二十三夜が盛大であった。「月祭り」とも言う。

庚申待こうしんまちとは、庚申かえのさるの日、仏家では青面金剛しょうめんこんごうまたは帝釈天たいしゃくてん、神道では猿田彦神さるたひこのかみを祭り、村人や縁者が集まり、徹夜する行事。庚申会こうしんえ

〔眉雪の愚見〕

日待、月待、庚申待は、元々は宗教祭事だったかも知れないが、庶民的民俗行事となった、と思われる。
夏の盆踊り、秋祭り、歌留多会などと同じで、次第に、男女の出会いの場となった。

日待塚、日待塔

【関連】月待塔(つきまちとう)、月待塚(つきまちづか)、庚申塔(こうしんとう)、庚申塚(こうしんづか)

干支(えと、かんし)とは

干支(かんし、えと)

<Wikipediaより抜粋>

干支は、十干と十二支を組み合わせた60を周期とする数詞。
古代チャイナにはじまる暦法上の用語。
暦を始めとして、時間、方位、ことがらの順序などに用いられる。
六十干支(ろくじっかんし)、十干十二支(じっかんじゅうにし)、天干地支(てんかんちし)ともいう。

〔十干と十二支〕

十干は甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10種類からなり、
十二支は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12種類からなっており、これらを合わせて干支と呼ぶ。

〔干支の60回について〕

10と12の最小公倍数は60なので干支は60回で一周するが、干支の組合せはすべての組合せの半数しかない。
例えば、一覧01〜60で5回ある「子」のうちに、「甲子」はあるが「乙子」はない。
これは、10と12に共通の約数2があるので、干支の周期が積の120ではなく、最小公倍数の60になるからである。

 

〔日本の「えと」の間違い〕

日本においては「干支」を「えと」と呼んで、「ね、うし、とら、う、たつ・・・」の十二支のみを指すことが多いが、本来、「干支」は十干と十二支の組み合わせを指す語である。

「えと」は十干において「きのえ(甲)」「きのと(乙)」「ひのえ(丙)」「ひのと(丁)」と陽陰に応じて「え」「と」の音が入ることに由来する。

すなわち、「えと」の由来は十干であるのに、「ね、うし、とら、う、たつ・・・」と呼んでいるのは十二支で、二重の誤りをしている。

本朝文粋原文 目録/目次

『本朝文粋』(ほんちょうもんずい)の目録/目次

平安時代後期に編まれた漢詩文集。全14巻。藤原明衡ふじわらのあきひら撰。
嵯峨天皇から後一条天皇までの時代に生きた68人の漢詩文427編を収める。

書名は宋の姚鉉ようげんが編んだ『唐文粋とうもんずい』に依ったものと見られる。

【概要】

公的な文章が漢文で書かれた平安時代において、文章作成の上で模範となるものを編纂した書物。

作品の分類は、

賦、雑詩、詔、勅書、勅答、位記、勅符、官符、意見封事、策問、対冊、論奏、表、奏状、書状、序、詞、行、文、讃、論、銘、記、伝、牒、祝、起請、奉行、禁制、怠状、落書、祭文、呪願、表白、発願、知識、廻文、願文、諷誦文

の39種類に分類されている。

現代風に言えば、『ビジネス文書の基本 文例集』みたいなもので、挨拶文、謝罪文、社内届、始末書なんて分類で模範的な文章を載せたものだ。

分類は『文選』に倣ったものであるが、日本独自の仏教関連の願文や文章・和歌等もあり、日本の社会情勢に適したものに改めている。

収録作品の多くは四六駢儷文しろくべんれいぶんの美文調である。

本書には多くの公文書が使用されている点から、編者の藤原明衡が文章博士もんじょうはかせ東宮博士とうぐうはかせの要職に就いた晩年期の編纂と考えられ、成立年代は康平年間(1058-1065年)と推定されている。

主な作者は、大江匡衡・大江朝綱・菅原文時・紀長谷雄・菅原道真・源順・大江以言・兼明親王・都良香・紀斉名などで、菅原家・大江家の人物が多い。

特に賦の兼明親王「菟裘賦」、慶滋保胤「池亭記」や三善清行「意見十二箇条」、羅泰「鉄槌伝」などは有名である。

本作品には公文書を含めてあらゆる文例が含まれている事から、後世の文学にも大きな影響を与えた。

しかし、江戸時代に至り、駢儷文が不人気になると省みられなくなった。

 

【本朝文粋原文総目次 画像】

読み下し文が掲載されている文献に〇△▢を付けています。

・・新日本文学大系27     岩波書店 1992年出版
・・日本文学大系69      岩波書店 1964年出版
・・本朝文粋抄 後藤昭雄・著 勉励出版 2006年出版

1.巻第一

賦、雑詩

本朝文粋 第一巻 目次

2.巻第二

詔、勅書、勅答、位記、勅符、官符、意見封事

本朝文粋 第二巻 目次

3.巻第三

対冊

本朝文粋 第三巻 目次

4.巻第四

論奏、表上、表下

本朝文粋 第四巻 目次

5.巻第五

表下 對辞状、奏状上

本朝文粋 第五巻 目次

6.巻第六

奏状中

本朝文粋 第六巻 目次

7.巻第七

奏状下、書状

本朝文粋 第七巻 目次

8.巻第八

書序、詩序一

本朝文粋 第八巻 目次

 

9.巻第九

詩序二

本朝文粋 第九巻 目次

10.巻第十

詩序三

本朝文粋 第十巻 目次

11.巻第十一

詩序四、和歌序 付序題

本朝文粋 第十一巻 目次

12.巻第十二

詞(辭)、行、文、讃、論、銘、記、伝、牒、祝文、起請文、奉行文、禁制文、怠状、落書

本朝文粋 第十二巻 目次

13.巻第十三

祭文 在供物、呪願文、表白文、発願文、知識文、廻文、願文上

本朝文粋 第十三巻 目次

14.巻第十四

願文下、諷誦文

本朝文粋 第十四巻 目次

扱帯(しごきおび/しごき)とは

扱帯/扱き帯

【読み】しごきおび

【意味】

元々は、武家の女性や女児が家の中で着物の裾をお引きずりに着ていて、外出時に裾をたくし上げて、ひもで締めた腰紐が原形。
それが抱え帯とよばれ、扱帯の原型となった。
抱え帯は、懐剣の包みや筥迫(箱セコ:はこせこ)と同じ生地で作られる細い帯状のもの。

帯の下に巻いて、左の後ろ脇で蝶結びにして垂らします。

 

七五三の振袖の各部の名称01七五三の振袖の名称02

 

〇お引きずり ・・・ 着物の裾を引きずるように着ること。また、そのように仕立てた着物。

〇筥迫/箱セコ(はこせこ)・・・江戸時代に奥女中や中流以上の武家の若い娘が持った鼻紙入れ。現在は和服の礼装の際の装飾として使われる。