大兒/大児
【読み】たいじ
【意味】
年の多い兒。兄をいふ。轉じて、二人のすぐれた人物のうちの年長者をいふ。
小兒の對。大兒小兒を見よ。
〔木蘭辭〕阿耶無大兒、木蘭無長兄。
〔楊萬里、詩〕大兒長孺赴零陵。
【参照】『大漢和辞典』 大修館書店
【例文の出典】『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 155頁
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【読み】たいじ
【意味】
年の多い兒。兄をいふ。轉じて、二人のすぐれた人物のうちの年長者をいふ。
小兒の對。大兒小兒を見よ。
〔木蘭辭〕阿耶無大兒、木蘭無長兄。
〔楊萬里、詩〕大兒長孺赴零陵。
【参照】『大漢和辞典』 大修館書店
【例文の出典】『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 155頁
【読み】たいじ-しょうじ
【意味】
兄と弟。轉じて、二人のすぐれた人物の長者を大兒、幼者を小兒といふ。
〔後漢書、禰衡傳〕衡唯善魯國孔融及弘農楊脩、常称曰、大兒孔文擧、小兒楊徳祖、餘子碌碌、莫足數也。
〔杜甫、最能行〕小兒學問止論語、大兒結束随商旅。
〔杜甫、徐卿二子歌〕君不見徐卿二子生絶奇、感應吉夢相追随、孔子釋氏親抱送、並是天上麒麟兒、大兒九齢色清徹、秋水爲神玉爲骨、小兒五歳氣食牛、滿堂賓客皆廻頭、吾知徐公百不憂、積善袞袞生公侯、丈夫生兒有如此、二雛者名位、豈肯卑微休。
【参照】『大漢和辞典』 大修館書店
【出典】『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 156頁
「儒冠 各 分ヲ守リ、紈袴ノ塵ヲ追ハズ」(文1)とは、どんな意味か?
これだけ読んでも、残念ながら、ちっとも解らない。
この一文の元の文章を知って少し理解できる。
元の出典は、杜甫の詩にあった。
「紈袴 餓死せず。儒冠 多く身を誤る。」(文2)
この意味は、
「絹の下穿きの貴公子が餓死することはないのに。学者は人生を踏み外すことが多い。」
と云うもの。
しかし、これだけじゃあ、ピンと来ない。
もう少し内容や背景をまで踏み込んでみる必要がある。
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【杜甫の詩の背景】
唐の第九代皇帝、玄宗は、国中から人材を集めようと科挙試験を実施したが、一人も合格者が出なかった。
時の宰相・李林甫が、自分の地位を危ぶんだのだろう、不正操作した結果だと言われている。
昔は酷いことをしたもんですねえ。
あっ!そうか。今もチャイナは酷いや!あははは
杜甫は少年時代からその秀才振りは有名で将来を期待されていた。
本人も自覚しており、官吏を目指した。
杜甫は、有力者の宴席に顔を出したりなど、自ら売り込むと言う面白い働きかけをしている。
見え透いているが、可愛がられた。推薦を取り付け、科挙の受験に漕ぎつけた。
しかし、その甲斐なく(李林甫の不正操作の煽りを受けて)、合格できなかった。その落胆は察するに余りある。
その杜甫が、長安を去る時に世話になった韋左丞丈に宛てた詩(文2)の冒頭の二句が、これ。
杜甫の詩は、自虐的で情けない男を演じ、同情を惹く様な、ちょっと滑稽な文体なのである。
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【杜甫の詩の詳細】
〇「紈袴」とは、貴族の子弟の履くズボン或いは下着。「紈」は白い上質の絹。
『漢書』叙伝上に班固自身の出自のよさを言って、「綺襦(上半身に着る絹の下着)紈袴の間に在り」。
〇「儒冠」とは、儒者のかぶる冠。「儒冠」によって儒者、文筆を事とする者を表す。
二句は良家の子弟が困窮することはありえないのに対して、学問・文学に携わると落伍者になることをいう。
身分の高い者は「綺襦」で表すこともできるのに、あえて下半身に着ける「紈袴」で表し、低い者は逆に頭に着けるもので表している。
上下の転倒に皮肉か籠められる。加えて「袴」を下着に限定すれば、皮肉は更に増す。
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【文1の意味】
「儒冠 各 分ヲ守リ、紈袴ノ塵ヲ追ハズ」とは、
「成り上がりの学者は、身分を弁え、貴族の子弟の仲間に成ろうなどとするべきではない」
と言う意味でしょうね。
貴族の子弟は、自分達の権利・役得を守ることに敏感で、能力の高い余所者を嫌う。
事実、杜甫の詩(文2)の後の句で登場する李邑は、杜甫が心から敬愛していたした人物だったが、冤罪によって殺されている。宰相・李林甫の陰謀だった。
この当時、玄宗皇帝は楊貴妃に惑溺し国政がお留守。そのスキに李林甫は権力を縦にしていた。
必然的に時代は暗転していき、やがて安碌山の乱が起こって、国は滅びた。
いや~、毎度お馴染みの亡国の末路ですが、今のチャイナ、ロシア、北朝鮮の「悪党三ヶ国」も、この道を早く辿ってくれないかなあ~、と希うのは私ばかりじゃないでしょうね。あははは
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【出典】
〔原文〕儒冠各守分。不追紈袴塵。
〔訓読〕儒冠各分ヲ守リ、紈袴ノ塵ヲ追ハズ。
〔書籍〕『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 155~156頁
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【元の出典】
〔題〕奉贈韋左丞丈二十二韻。杜甫。
〔原文〕紈袴不餓死。儒冠多誤身。
〔訓読〕紈袴餓死せず。儒冠多く身を誤る。
〔現代語訳〕
韋左丞殿に贈り奉る。
絹の下穿きの貴公子が餓死することはないのに。学者は人生を踏み外すことが多い。
〔参照〕『新釈漢文大系 詩人編6 杜甫』 明治書院 48~56頁
【原文】學道無成鬢已華。
【読み下し文】學道成ること無く鬢已に華。
【詩意】道を學んで成就せざる中に鬢は已に華白となる。
【出典】蘇東坡の詩「三朶花」
全文のPDFは、こちら「三朶花」蘇東坡
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【眉雪の閑話】
「鬢已華」の語句が『下谷叢話』にあった。
調べてみると蘇東坡の「三朶花」の冒頭の句であった。
〔出典〕『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 251頁 14行目
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【略歴】
蘇 軾(そ-しょく)/蘇 東坡(そ-とうば)
生年:1036年1月8日
没年:1101年8月24日、65歳没
チャイナ北宋の政治家、文豪、書家、画家。政治家としての活躍の他、宋代随一の文豪として多分野で業績を残した。文学以外では、書家、画家として優れ、音楽にも通じた。
号は東坡居士(とうばこじ)、字は子瞻(しせん)、諡は文忠公。
号から、蘇東坡(そとうば)とも呼ばれ、坡公や坡仙などの名で敬慕された。
【読み】ほう – だいちん
明の時代。桐城の人。
字:君靜(くんせい)。號:野同翁。
萬暦の進士。官は大理寺少卿。
著書:『荷薪義』『田居乙記』
〔萬斯同明史、三百六十一〕・〔蘭臺法鑒綠、二十〕・〔明人小傳、三〕・〔明詩綜、五十五〕・〔四庫提要、九十六・一百三十二〕。
『下谷叢話』に「江湖載酒甘薄倖」の一文がある。
解説者の読み下し文では、「江湖酒ヲ載セテ薄倖ニ甘ンジ」としている。
「江湖」とはチャイナの揚子江と洞庭湖だろうと想像する。
しかし、『下谷叢話』の背景は、日本の関東周辺だ。
関西なら琵琶湖と淀川に模したものか、とも思うのだが、疑問である。
扨、この一文は、どう理解したら善いのか?
これは、杜牧の七言絶句「遣懐」(懐いを遣る)の一句が元にある。
【原文】落魄江南載酒行
【読み下し文】江南に落魄し 酒を載せて行く
【現代口語文】水辺のさと江南で、自由奔放に遊んだ若き日々、どこに行くにも酒びたりであった。
【語彙説明】
〇落魄・・・「ラクタク」と読み、自由気まま、放縦不羈を表わす。通常の「ラクハク――落ちぶれて漂泊する」意味ではない。
『才調集』は「落托」、晩唐の孟棨『本事詩』高逸篇は「落拓」としている。
〇江南・・・揚州・宣州・洪州などの地を指す。
晩唐の高彦休『唐闕史』(『太平広記』所引)・『本事詩』・『唐音統籤』などは、「江湖」としている。
【参照】『杜牧詩選』 岩波文庫 2004年12月15日第2刷
PDFで「遣懐」全文と解説は、こちら。
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「江湖載酒甘薄倖」
解説者の読み下し文「江湖酒ヲ載セテ薄倖ニ甘ンジ」。
【出典】『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 135頁 1行目と13行目
【読み】しゅん – ぱつ
【意味】
1.疾く耕す。駿發爾私を見よ。
2.明徳を疾く發する。
〔王融、三月三日曲水詩序〕駿發開其遠祥、定爾固其洪業。
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【読み】とく なんじの しを はっせよ
【意味】
疾く民の私田を耕せと諭した語。駿は、一説に大いにの意とする。
〔詩、周頌、噫嘻〕駿發爾私、終三十里、亦服爾耕、十千維耦。
〔傳〕私、民田也、言、上欲富其民、而譲於下、欲民之大發其私田耳。
〔箋〕駿。疾也、發、伐也、云云、使民疾耕發其私田。
〔読み〕おおさわ – じゅんけん
漢学者
〔生没〕生没年未詳。天保(1830~1844)頃の人。
〔名号〕名:定永。字:子世。通称:秀之助。号:順軒。
〔経歴〕江戸根岸庚申塚に住す。
〔著作〕『台桜雑詠』〈天保十一刊〉
〔参考〕広益諸家人名録(天保十三)
【参照】『国書人名辞典』岩波書店