「おかみさん」「かみさん」「おかみ」「かみさま」

「おかみさん」「かみさん」「おかみ」「かみさま」の意味と漢字・当て字

1.「おかみ」は、古くは天皇陛下のことを指し示し「お上」。
「上」は「神」の意味した。
従って、「おかみ」は「お神」、「おかみさん」は「お神さん」、「かみさん」は「神さん」ともなる。

2.「お上」を「おかみ」または「上様」を「うえさま」と読むと、
貴人に対する尊称となり、古くは主に天皇陛下を指し、室町時代には大名を指した。
江戸時代には征夷大将軍を指したが、江戸幕府を意味することもあった。
現代では、官邸及び行政府を揶揄からかっ巷間ちまたで使われる。

3.「女将」と書いて「おかみ」と読む場合は、旅館や料理店などで、女主人などを指す。

4.「かみさん」と呼ぶ場合は、庶民が親しい間柄で、自分の妻、または他人の妻を指す。

5.「おかみさん」と呼ぶと、庶民が他人の妻や料理屋の女主人などを指す。

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御上(おかみ)
意味:〔参照:goo国語辞書〕
1.天皇の敬称。
2.朝廷・幕府や政府など、時の政治を執り行う機関。また、為政者。
3.(「女将」とも書く)旅館・料理屋・居酒屋などの女主人。じょしょう。
また旅館、食堂や相撲部屋などを取り仕切る女性を「女将(おかみ)」「女将さん」と呼ぶ。
ただし、本来は「御上さん」が正しい表記である。

上様(かみさま)
意味:〔参照:goo国語辞書〕
1.身分の高い人の妻を敬っていう語。奥方。
2.近世、商家や一般の人の妻を敬っていう語。おかみさん。
3.近世、上方で、隠居した良家の老女を敬っていう語。かみさん。

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★「おかみさん」の漢字、当て字

御上さん(おかみさん)
意味:〔参照:デジタル大辞泉〕
庶民が他人の妻や料理屋の女主人などを親しんで、また敬っていう語。

○「おかみさん」と読んだ文献

女房  『二重心臓』/ 夢野久作(著)
内君  『義血侠血』/ 泉鏡花(著)
老婦  『うつり香 』/ 近松秋江(著)
主婦  『うつり香 』/ 近松秋江(著)
内儀様 『大岡政談』/ 作者不詳(著)
内室  『貧乏 』/ 幸田露伴(著)
御内儀 『大岡政談』/ 作者不詳(著)
御内室 『塩原多助一代記』/ 三遊亭円朝(著)
細君  『血の文字』/ 黒岩涙香(著)

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★「かみさん」の漢字、当て字

上さん(かみさん)
意味:〔参照:goo国語辞書〕
1.商人・職人などの妻、また、その家の女主人を呼ぶ語。〔御上 (おかみ) さん〕に同じ。
2.親しい間柄で、自分の妻、または他人の妻を呼ぶ語。
3.「かみさま(上様)3」に同じ。–>近世、上方で、隠居した良家の老女を敬っていう語。

○「かみさん」と読んだ文献

女房  『ディカーニカ近郷夜話 後篇』/ ニコライ・ゴーゴリ(著)
内儀  『敵討札所の霊験 』/ 三遊亭円朝(著)
主婦  『うつり香 』/ 近松秋江(著)
内儀様 『闇夜の梅 』/ 三遊亭円朝(著)
女将  『白い下地』/ 泉鏡花(著)
女主人 『ディカーニカ近郷夜話 後篇』/ ニコライ・ゴーゴリ(著)
女亭主 『藁草履 』/ 島崎藤村(著)
妻君  『みみずのたはこと 』/ 徳冨蘆花(著)
老妻  『田舎教師 』/ 田山花袋(著)
内室  『貧乏 』/ 幸田露伴(著)
内室様 『怪談牡丹灯籠』/ 三遊亭円朝(著)
家婦  『五本の指 』/ ルイ・ベルトラン(著)
細君  『越後獅子』/ 羽志主水(著)
細君様 『したゆく水 』/ 清水紫琴(著)

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★「おかみ」の漢字、当て字

御上(おかみ)
意味:〔参照:goo国語辞書〕
1.天皇の敬称。
2.朝廷・幕府や政府など、時の政治を執り行う機関。また、為政者。
3.(「女将」とも書く)旅館・料理屋・居酒屋などの女主人。じょしょう。
また旅館、食堂や相撲部屋などを取り仕切る女性を「女将(おかみ)」「女将さん」と呼ぶ。
ただし、本来は「御上さん」が正しい表記である。

○「おかみ」と読んだ文献

女将  『松のや露八』/ 吉川英治(著)
内儀  『銭形平次捕物控』「青葉の寮」/ 野村胡堂(著)
主婦  『死の接吻 』/ 小酒井不木(著)
御上  『吾輩は猫である 』/ 夏目漱石(著)
女房  『歌行灯 』/ 泉鏡花(著)
政府  『死せる魂』「または チチコフの遍歴」/ ニコライ・ゴーゴリ(著)
女將  『天満宮 』/ 上司小剣(著)
幕府  『血曼陀羅紙帳武士 』/ 国枝史郎(著)
御内儀 『銭形平次捕物控』「密室」/ 野村胡堂(著)
御神  『満韓ところどころ 』/ 夏目漱石(著)
公儀  『銭形平次捕物控』「大村兵庫の眼玉」/ 野村胡堂(著)
主君  『丹那山の怪』/ 江見水蔭(著)
官   『血煙天明陣 』/ 国枝史郎(著)
御主婦 『日本橋 』/ 泉鏡花(著)
公邊  『大岡政談 』/ 作者不詳(著)
警察  『魔都 』/ 久生十蘭(著)
慈善  『ジエィン・エア』/ シャーロット・ブロンテ(著)
龗神  『万葉秀歌 』/ 斎藤茂吉(著)
国庫  『死せる魂』「チチコフの遍歴」/ ニコライ・ゴーゴリ(著)
官権  『ディカーニカ近郷夜話 前篇』/ ニコライ・ゴーゴリ(著)
岡見  『福翁自伝 』/ 福沢諭吉(著)
御公儀 『大岡政談 』/ 作者不詳(著)
御家内 『七福神詣 』/ 三遊亭円朝(著)
徳川家 『顎十郎捕物帳』「御代参の乗物」/ 久生十蘭(著)
有司  『どんたく』「絵入り小唄集」/ 竹久夢二(著)
朝廷  『新・水滸伝 』/ 吉川英治(著)
淤加美 『古事記』/ 太安万侶、稗田阿礼(著)
私服  『魔都 』/ 久生十蘭(著)
細君  『春心 』/ 田中貢太郎(著)

切畳紙/裁片畳(きれたとう)とは

切畳紙

【読み】きれたとうがみ/きれたとう/きれたとうし

裁片畳

【読み】きれたとう

【意味】(「たとう」は厚紙を折りたたんだ小物入れの意)小切こぎれを入れる畳紙。

【例文】

「宮はわざ打背うちそむきて、裁片畳きれたたふうちかきさがせり」

〔『金色夜叉』前編 第五章、尾崎紅葉・著〕

現代口語訳:「宮はわざと背を向けて、畳紙たとうの中の端切はぎれものを探すふりをした」

註:「裁片畳」は「きれたとう」の当て字。裁断した小さな畳紙の意か。

 

『日本国語大辞典』の表記の「切畳紙」PDF

畳紙/帖紙(たとう‐がみ/たとうし/たとう)とは

畳紙/帖紙

【読み】たとう‐がみ/たとうし/たとう/たたう‐がみ

【意味】〘名〙(「たたみがみ」の変化した語)

1.檀紙だんしとり子紙こがみなどの紙を折りたたんだもの。懐中して鼻紙また歌の詠草えいそうにも用いる。ふところがみ。懐紙かいし。たとう。

2.厚い和紙にしぶうるしを塗って折りめをつけた丈夫じょうぶな包み紙。和服・小ぎれ・女の結髪の道具などを包むもの。たとう。

註:檀紙(だんし)・・・大正時代頃まで用いられていた最高品位の儀礼用の和紙。

註:鳥の子紙(とりのこがみ)・・・和紙の一つ。単に「鳥の子」ともいい、紙面がなめらかで鶏卵のような淡黄色の光沢があるので、こう呼ばれる。

註:詠草(えいそう)・・・作った和歌や俳諧を紙に書きつけた草稿。

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畳紙

【読み】たとうがみ

【意味】

折り畳んで懐中に入れ、歌などを書いたり、鼻紙に用いたりした紙。
「たたんがみ」ともいい、平安から江戸時代までの文学作品にもきわめて多くの用例が出てくる。

最初は教養のある者のたしなみとして、公家くげ社会では檀紙だんし(陸奥紙)みちのくがみなどを愛用したが、武家社会になると杉原紙すぎはらしが好まれるなど、時代によって用いられる紙の種類や折り畳み方などに変化がみられる。

日葡にっぽじしょ辞書』(1603年)にも採録されている。

また近代ではくしなどを入れるための、うるししぶなどを塗った厚紙を折り畳んだものを呼ぶ場合もある。

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

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畳紙

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関連: 切畳紙、裁片畳(きれたとう)

猫柳、狗子柳、狗尾柳(ねこやなぎ、えのこやなぎ、えのころやなぎ)

「ネコヤナギ」は「猫柳」と書き(学名: Salix gracilistyla)、ヤナギ科ヤナギ属の落葉低木。

山間部の渓流から町中の小川まで、広く川辺に自生する、ヤナギの一種である。

和名「ネコヤナギ」の由来は、やわらかい銀白色の毛に覆われた花穂がネコの尻尾に連想させることから、この名がある。

別名で「エノコヤナギ」「エノコロヤナギ」「イノコロヤナギ」「カワヤナギ」とも呼ばれる。

地方によって呼称が異なり、「ネコネコ」「ネコジャラシ」「ネコノマクラ」「ニャンコノキ」といった猫と結びついた呼称や、「イヌコロ」「エノコロ」「インコロ」「イノコロヤナギ」といった犬と結びついた呼称が知られるほか、東北では「ベコ」「ベコベコ」「ベコヤナギ」といった牛と結びついた呼称が見られる。

「エノコ」は、漢字で「犬子」「犬児」「狗児」「狗子」などと表記し、

「エノコヤナギ」または「エノコロヤナギ」は、「狗子柳」「狗尾柳」と書く。

 

ネコヤナギ(猫柳)

 

 

『金色夜叉』の素人研究。その2。―単行本との比較―

金色夜叉こんじきやしゃ』は明治30年1月1日元旦から読売新聞に掲載された、尾崎紅葉おざきこうようの連載小説です。

前回は、当時の新聞を画像で紹介しました。

今回は、翌年(明治31年)に単行本化された書籍と、文字や文章を比較してみたいと思います。

 

まず、明治時代の新聞の『金色夜叉』の紙面を再掲します。

明治30年金色夜叉の紙面一部

文を抜き書きする予定だったのですが、出来ない。

なぜなら、旧字体のフォントがコンピューター、ウェブ上に無いからです。

JIS(日本工業規格)の失敗です。(高島俊男先生の説です。『漢字と日本人』)

ともあれ、画像でしかお見せ出来ない。

 

明治30年の読売新聞に掲載された第一話の一部と、後年出版された単行本(復刻版)と、異なる点を矢印と赤い丸、または、赤い四角で囲みました。

是非、見比べて下さい。

 

先ずは、読売新聞に掲載された第一話の一部。

 

 画像1の1.

金色夜叉第1頁その1 画像1の2.

 

次が、後年出版された『精選 名著復刻全集 近代文学館 金色夜叉(前編)』の画像です。(画像2)

 

精選復刻版「金色夜叉」外観 精選「金色夜叉」1頁 画像2の1.

復刻「金色夜叉」2頁 画像2の2.

精選「金色夜叉」3頁 画像2の3.

復刻版「金色夜叉」奥付 画像2の4.

 

丁寧に見て頂く必要はありません。

とにかく、明治時代の人たちの、毎朝楽しみにしていた、その息遣いを感じ取って頂ければ・・・

いいかなあ~、と、思うのです。

石榴口(ざくろぐち)とは

石榴口(ざくろ-ぐち)

1.江戸時代の銭湯の、洗い場から浴槽への出入り口。
湯のさめるのを防ぐため、浴槽を板戸で仕切り、その下部を開けて身体を屈めて出入りするように造ったもの。じゃくろぐち。

咄本・吟咄川(1773年)せん湯「せんとうへゆき、まっぱだかになりてざくろ口から」

滑稽本・浮世風呂‐前・序「目に見えぬ鬼神を隻腕(かたうで)に雕(ゑり)たる侠客(ちうつはら)も、御免なさいと石榴口に屈むは銭湯の徳ならずや」

2.(石榴の実がはじけるように) 裂けて開いた口。はぜぐち。

語源説:当時、鏡磨きには石榴の酢を要したので、屈んで入る「かがみいる(屈入)」を「かがみいる(鏡要)」にかけ、この名がついたもの〔醒睡笑・大言海〕。

出典:「精選版 日本国語大辞典」

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〇江戸時代の銭湯で、湯船と流し場とを仕切る板戸。湯がさめぬよう、また蒸気が逃げぬように造られたもので、
客は板戸の下の低い入口をくぐって薄暗い湯船へ入る。語源は、室町以降寛永ごろまでザクロの実の汁で鏡をみがいたから、〈かがみ入る〉としゃれたものという。 出典:平凡社「百科事典マイペディア」

〇江戸時代の銭湯で、浴槽の前方上部を覆うように仕切り、客がその下を腰をかがめてくぐり抜けて浴槽に
入るようにした入口のことをいう。湯がさめないように、狭い入口となっているのが特徴で、
明治以降は衛生的でないとして、この形式の銭湯は禁止された。 出典:「ブリタニカ国際大百科事典」

 

江戸の湯屋の見取図 湯屋のビジュアル図

『守貞謾稿』については下記参照。

 

石榴口の入口側 石榴口の湯舟側

 

石榴口。カラー 石榴口。カラー。女湯

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【追記1】

上記に掲載した江戸末期の湯屋(銭湯)の全体図は、『守貞謾稿』(もりさだまんこう)に描かれたもの。

『守貞謾稿』は、喜多川守貞によって書かれた、いわば江戸風俗事典。天保八年(1837年)作。

高座(当時は「番台」と言わなかった)は、女湯の板の間側にある。

男湯の方が見えないので、盗難防止のために、男湯側に見張りを置いた。

寛政の改革後は男女別湯になったにもかかわらず、浴槽だけが男女別で、

脱衣所、洗い場は男女の境がなく、ほとんど混浴同然だった。

 

【追記2】

イラストを見ると勘違いしてしまいますが、こんなに明るくはありません。

現代に暮らす我々は、夜でも照明が有って、昼間同様に明るいのが当り前になっていますが、江戸時代の照明は、行灯あんどんぐらいしか無かった。

従って、湯屋の中は、昼間でも薄明り、夕方以降は相当暗かったと想像すべきです。

石榴口を潜った浴槽周辺は、真っ暗で、人の顔は判別不可能。

仮に男女混浴だったとしても、何も見えなかっただろうと思います。

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【参考】

湯屋(銭湯)がどれくらいあったか?

享和三年(1803年)には江戸市中に499軒、文化五年(1808年)には523軒、さらに文化十一年(1814年)には600軒あったそうです。

因に、内風呂や厠を屋敷内に設けているのは、武家屋敷や大店で、町屋、長屋は銭湯と同じ共同厠。

つい昭和50年頃まで、長屋は、共同風呂、共同便所が珍しくなかった。

『金色夜叉』の素人研究。その1。―明治時代の新聞紙面―

金色夜叉こんじきやしゃ』は明治30年1月1日元旦から読売新聞に掲載された、尾崎紅葉おざきこうようの連載小説です。

読売新聞。明治30年元旦第1面 画像1.

当時の読売新聞。第1面に掲載された。

 

読売新聞(明治30年1月1日号)金色夜叉第1話
画像2. 当時の新聞の『金色夜叉』だけ抜き出した。

1日目(第1話)と2日目(第2話)は第1面に掲載された。3日目(第3話)は第3面に掲載されていました。

 

【眉雪の解説】

『金色夜叉』は、明治30年(1897年)元旦に、読売新聞で連載が始まった。

当時の新聞が画像1である。

現在の新聞の1ページの寸法は、縦545×横406㎜ですが、

明治30年(1897年)の読売新聞の1ページの寸法は、縦53×横37cmだったそうです。

僅か全6ページ。1ページ6段、1段22文字。

文字の大きさは、5号、縦3.5×横3.5㎜。

それをA3サイズ(縦420×横297㎜)に縮小コピーしたものを更に縮小してアップしました。

今でこそ読売新聞、朝日新聞は、全国区の大新聞ですが、明治時代ではどちらも二流でした。

それが、この『金色夜叉』の連載で読売新聞はかなり部数を伸ばしたそうです。

妬(やっか)んだのが朝日新聞。

二匹目の泥鰌を狙って、帝国大学(現・東京大学)から夏目漱石を引き抜きました。

まあ、引き抜いたと言うより、漱石は教師として不評だったんですね。

学生から突き上げを喰らってノイローゼ気味だった漱石は、友人の高浜虚子らに勧められて小説(『吾輩は猫である』など)を執筆したのが大当たり。

脚光を浴び始めた頃です。

因に尾崎紅葉、夏目漱石、正岡子規は同い年の帝大卒。

兎にも角にも、明治時代の人たちは、新聞を毎朝楽しみにしていた。

テレビのやインターネットの無い時代です。その息遣いを感じ取って頂ければ・・・

と、思い掲載しました。

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【蛇足】

当時の印刷は、活版印刷で、一文字一文字の活版(活字)の判子を選び組み合せて文章を作った。
「文選」「植字」と呼び、手作業です。(画像3と4)

 画像3.「文選」

 画像4.「植字」

外国と異なり日本の場合、漢字とひらがな、カタカナがある。勿論、英数字も扱う。
漢字も現在の常用漢字の約2000字ではなく、6000字以上を扱っていた。

さらに総ルビを振っていたのである。

ルビを振っていたのは、大衆を相手にしていた新聞の必要な利便性、要するにサービスだったのだ。
この手間たるや大変なものであり、高度な職人技でした。

加えて、当時の小説家は、結構当て字を用いたので、気が抜けなかった。

26文字しかない英語圏とは、作業量が、その4倍、否、5倍以上違うだろうことは、容易に想像できますよね。

現在、コンピュータが導入され、パソコン画面で簡単にできるようになったので、
英語圏との差は小さくなったでしょうが、恐らく、活版印刷時代の職人技は、世界一だったに違いない。

昭和21年(1946年)に告示された当用漢字表に因り、新聞社はルビを振らなくてよくなった。
漢字数も3分の1以下になり、大幅に植字の作業量が減った。

と言うより、国語審議会の漢字制限の方針に大いに賛同し、広告、推進していたのだ。

今から考えると、商業主義に魂を抜かれた大いなる過ちであった。
それから僅か20年後にコンピュータが導入されようなどとは、想像していなかったからだ。

打返す/打覆す/反覆す(ぶちかえす)とは

打返す/打覆す/反覆す

【読み】ぶちかえ‐す

【意味】

1.打たれた仕返しに、その人を打つ。先方へ打って返す。うちかえす。

2.(「ぶち」は接頭語)ひっくり返す。くつがえす。

3.くり返す。「反覆す(ぶちかえす)」とも書く。

縦書きで見る『日本国語大辞典』表記の「打返す」PDF

佚游(いつゆう)とは

佚游/佚遊/逸遊

【読み】いつゆう

【意味】気ままに楽しみ遊ぶこと。

【文例】「只日夜に佚游を事として」(太平記)

【参照】『大漢和辞典』 大修館書店

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縉紳/搢紳(しんしん)とは

縉紳/搢紳

【読み】しん-しん

【意味】《笏 (しゃく) を紳 (おおおび) に搢 (はさ) む意から》
官位が高く、身分のある人。

【文例】「縉紳の身ながらに笏や筆を擱 (お) いて、弓箭鎗太刀を取って
武勇の沙汰にも及んだ」(露伴・魔法修行者)

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