君と一夕の話は、十年の書を讀むに勝る。

【読み下し文】

きみ一夕いっせきはなしは、十年じゅうねんしょむにまさる。

【原文】

與君一夕話。勝讀十年書。

【説明】

君のやうな博學多識の意氣いき相投あいとうじて、一夕いっせき歡談かんだんほしいままにすることが出来できるとは、まさえきを受け知能を啓發けいはつせらるゝこと、十年のあいだ、讀書に親しめる以上の價値かちがある。

けだし、無師獨悟むしどくごとて、ひとまなんで獨りさとるがごときは、おおむ偏頗へんがく見界けんかいに終始するものなるがゆえに、良友りょうゆうを得て、共に語り、腹藏ふくぞうなく意中いちゅう披瀝ひれきし合つて疑團ぎだん氷解ひょうかいするにまされるは無しと云へる意であろう。

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【語彙説明】

○無師獨悟(むしどくご)・・・特定の師匠や指導者を持たず、自分自身で物事を理解すること。

○見界(みさかい)・・・見境と同じ。物事の見分け。善悪などの判別。識別。

○疑團/疑団(ぎだん)・・・心の中にわだかまっている疑いの気持ち。

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【出典】

『醉古堂劍掃講話』「情之巻」 p.140~141
著作者:大村智玄 刊行所:京文社書店

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【原出典】

『酔古堂剣掃』(すいこどうけんそう)「情」(じょう)

中国・明朝末の陸紹珩(字:湘客)が古今の名言嘉句を抜粋し、収録編纂した編著。

残涯/殘涯(ざんがい)とは

残涯/殘涯

【読み】ざん-がい

【意味】

1.余命のこと。〔参考〕『富山女子短期大学紀要(18)』 出版年月:1983.04 p.35

2.残りわずかな生涯。〔参考〕『北陸古典研究(12)』 出版者:北陸古典研究会 出版年月:1997.10 p.119

3.残る生涯。余命。〔参考〕『夢花詩』 著者:若林欽堂 出版者:燔祭編集室 出版年月:1984.09 p.14

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【例文】

五十わずカニ過ギテ鬢已びんすでしろ悠悠ゆうゆう心迹しんせき残涯ざんがいヲ送ル。詩夢ノ春草ヲフコト無カルケンヤ。

【例文の出典】『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 252頁 2行目

婉約(えんやく)とは

婉約

【読み】えんやく

【意味】婉曲で含みがある。

【例文】「時ニ殺気ヲ見ルノ間綿麗ノ語ヲナス。すなわちマタ黄鸝こうりノ百てんスルガ如ク、婉約えんやく喜ブベシ。」

【例文の出典】『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 193頁 12行目

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婉曲

〔読み〕えんきょく

〔意味〕表現が遠回しになさま。

愜(きょう)とは

←JPEG画像です。

【音読み】きょう

【意味】

一、こころよい。もと㥦に作る。

二、みちる。あきたる。かなふ。

三、よい。

四、したがふ。

五、おそれるさま。(愜愜を見よ)

六、或は悏、㛍に作る。

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愜愜

〔読み〕きょう‐きょう

〔意味〕おそれて息を殺すさま。

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PDFによる愜の説明辞書01

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【例文】すこぶ偏窄へんさくニシテ少シク意ニこころよカザルすなわ咄咄とつとつトシテ慢罵まんばス。

【例文の出典】『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 193頁 13行目

ごり押し、我儘、非常識の金慧成

米国MLBドジャースに今期(2025年)加入した金慧成(キム・ヘソン)選手。

オープン戦の打率1割強。

守備にも精彩なく。

キムへソン

当然!

東京行きの31人枠に含まれなかった。

ところが!

本人も韓国メディアも大激怒!

あははは

ごり押し、我儘わがまま、非常識のお国柄、韓国らしいですねえ。

周囲が皆、気分悪くする。

 

松井秀喜は、ワールドシリーズのMVPになって、トロフィーを頭上高く掲げて、

「愛ラブニューヨーク!」と叫んだ。

にも拘わらず、翌年、NYヤンキースから放出された。

しかし、本人は勿論、日本のマスコミも、騒がなかった。

 

金慧成(キム・ヘソン)選手は、MLBでは何んの実績もない。

それでも、「31人枠に残せ!」と、球団を威嚇する。

どう考えても、阿保ですよね(笑)

 

あれじゃあ、本人だけでなく、韓国人全てが、頭も性格も悪いと思われる。

せ!せ!

緑酒(りょくしゅ)

緑酒

【読み】りょく-しゅ

【意味】緑色を含んだ酒。良い酒。

説明の詳細は、このPDF画像で。緑酒01

【参照】『大漢和辞典』 大修館書店・出版

【例文の出典】『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 158頁 1行目と162頁 9行目

小兒/小児(しょうじ)

小兒/小児

【読み】しょうじ

一、ちひさい子。こども。幼者。

〔列子、湯問〕孔子東游、見兩小兒辯鬭。

〔史記、淮陰侯傳〕王素嫚無禮、今拜大将、如呼小兒耳。

〔漢書、西域下、車師後長城國傳〕殺校尉刁護及子男四人諸昆弟子男、獨遺婦女小兒。

二、自分の子をいふ謙辭。

〔呉志、孫皓傳、注〕小兒無徳致客、學者多貧、故爲廣被、庶可得與氣類接也。

〔北史、元行恭傳〕父文遙嘗謂盧師道曰、小兒比日微有所知、是大弟之力。

〔類書纂要〕自稱子曰賤息、又曰小兒・蠢頑・頑兒・小頑。

三、人を賤しめていふ語。つまらぬもの。小人。

〔晉書、陶潛傳〕吾豈能折腰、向郷里小兒耶。

〔老學庵筆記、六〕晉語、兒人二字通用、云云、陶淵明不欲束帯見郷里小兒、亦是以小人爲小兒耳、故宋書云郷里小人也。

四、小さい方の子。弟をいふ。轉じて、人物のすぐれた幼者をいふ。大兒の對。

〔後漢書、禰衡傳〕(禰衡)常稱曰、大兒孔文擧、小兒楊徳祖、餘子碌碌、莫足數也。

〔杜甫、徐卿二子歌〕大兒九齢色清徹、秋水爲紳玉爲骨、小兒五歳氣食牛、滿堂賓客皆廻頭。

五、唐代、給役の人をいふ。めしつかひ。こもの。

〔資治通鑑、唐紀〕(順宗、永貞元年)如宮市五坊小兒之類。

〔注〕小兒者、給役五坊者也、唐時給役者、多呼爲小兒、如苑監小兒・飛龍小兒・五坊小兒童、是也。

【参照】『大漢和辞典』 大修館書店

【例文の出典】『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 156頁