君と一夕の話は、十年の書を讀むに勝る。

【読み下し文】

きみ一夕いっせきはなしは、十年じゅうねんしょむにまさる。

【原文】

與君一夕話。勝讀十年書。

【説明】

君のやうな博學多識の意氣いき相投あいとうじて、一夕いっせき歡談かんだんほしいままにすることが出来できるとは、まさえきを受け知能を啓發けいはつせらるゝこと、十年のあいだ、讀書に親しめる以上の價値かちがある。

けだし、無師獨悟むしどくごとて、ひとまなんで獨りさとるがごときは、おおむ偏頗へんがく見界けんかいに終始するものなるがゆえに、良友りょうゆうを得て、共に語り、腹藏ふくぞうなく意中いちゅう披瀝ひれきし合つて疑團ぎだん氷解ひょうかいするにまされるは無しと云へる意であろう。

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【語彙説明】

○無師獨悟(むしどくご)・・・特定の師匠や指導者を持たず、自分自身で物事を理解すること。

○見界(みさかい)・・・見境と同じ。物事の見分け。善悪などの判別。識別。

○疑團/疑団(ぎだん)・・・心の中にわだかまっている疑いの気持ち。

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【出典】

『醉古堂劍掃講話』「情之巻」 p.140~141
著作者:大村智玄 刊行所:京文社書店

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【原出典】

『酔古堂剣掃』(すいこどうけんそう)「情」(じょう)

中国・明朝末の陸紹珩(字:湘客)が古今の名言嘉句を抜粋し、収録編纂した編著。

學道成ること無く鬢已に華

【原文】學道無成鬢已華。

【読み下し文】學道がくどう成ること無く鬢已びんすで

【詩意】道を學んで成就じょうじゅせざるうちびんすで華白かはくとなる。

【出典】蘇東坡そとうばの詩「三朶花さんだか

全文のPDFは、こちら「三朶花」蘇東坡

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【眉雪の閑話ひまばなし

「鬢已華」の語句が『下谷叢話』にあった。

調べてみると蘇東坡の「三朶花」の冒頭の句であった。

〔出典〕『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 251頁 14行目

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【略歴】

蘇 軾(そ-しょく)/蘇 東坡(そ-とうば)

生年:1036年1月8日
没年:1101年8月24日、65歳没

チャイナ北宋の政治家、文豪、書家、画家。政治家としての活躍の他、宋代随一の文豪として多分野で業績を残した。文学以外では、書家、画家として優れ、音楽にも通じた。

号は東坡居士(とうばこじ)、字は子瞻(しせん)、諡は文忠公。
号から、蘇東坡(そとうば)とも呼ばれ、坡公や坡仙などの名で敬慕された。

槎枿(さげつ)

槎枿

【読み】さげつ

【意味】切り株から生えたひこばえ。

竦樛

【読み】しょうきゅう

【意味】ひこばえが上に下に伸びて繁茂していること。

 

【出典】『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 37頁 1行目

「園ハ喬木きょうぼく多ク、槎枿竦樛さげつしょうきゅう、皆百年外ノ物タリ。」

意味は文庫本の「注」語彙説明(264頁)を引用。

切り株。音読み「げつ」「がつ」 ←JPEG画像です。自家製ですのでご容赦を♪

 

太鼓(くる)を叩く

藤沢周平の時代小説『神谷玄次郎捕物控』に

「お前は太鼓(くる)を叩きすぎたようだな。それでかえって自分が怪しまれてしまったのは皮肉な話だ」

と言う台詞せりふがある。

この中の「太鼓(くる)を叩く」の意味が解らず、図書館で調べた。

【結論】

「他人のいうことに調子を合わせすぎたようだな」の意味。

慣用句「太鼓(たいこ)を叩く」の意味である。

では、なぜ、玄次郎は、太鼓を「たいこ」と言わず、わざわざ「くる」と言ったのか。

これが疑問である。

調べた結果、話の中に『うんすんかるた』なるものが登場する。

江戸時代に渡来した西洋カルタを日本風にアレンジしたものだ。

この「うんすんかるた」の中の太鼓を模した札を「クル」と呼ぶ。

これに引っ掛けて洒落しゃれたのだ。

なるほどね~

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【語彙説明】

太鼓を叩く/太鼓を打つ/太鼓を持つ

〔読み〕たいこをたたく/たいこをうつ/たいこをもつ

〔意味〕他人のいうことに調子を合わせる。相手の取り持ちをしてきげんをとる。迎合する。また、座興をとりもつ。

くる/ぐる

〔意味〕ウンスンカルタ七十五枚の中、三つ巴を描いた札。太鼓の模様を表して九枚一組となる。

日本国語大辞典 第二版 第四巻 小学館

 

うんすんかるた

上述の辞典の説明では、九枚一組と説明しているが、九枚は数札のことで、

残り六枚の絵札にも「三つ巴紋の太鼓」は描かれている。

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【出典】

藤沢周平『神谷玄次郎捕物控』(かみやげんじろうとりものひかえ)

「霧の果て」の中の「春の闇」の最後の台詞