梅原芳堂(うめはら ほうどう)

1885年3月1日(明治18年3月1日)~ 1961年9月24日(昭和36六年9月24日)、没76歳。

山口県吉敷郡嘉川村字岡屋。医家梅原氏五世として出生。本名「成美」のち「芳堂」と号す。

〔全て『徳山の文化に貢献せし人々』を参照〕

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 芳堂年譜
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明治18年(1885年)3月1日 山口県吉敷郡嘉川村字岡屋。医家梅原氏五世として出生。本名成美、のち芳堂と号す。
明治24年(1891年)4月4日 6歳。嘉川村立興進小学校入学。
明治37年(1904年)4月一一  18歳。 山口中学卒業。
明治43年(1910年) 一一  25歳。 熊本医学専門学校卒。
明治44年(1911年)6月28日 26歳。宇部藤田家長女春枝と結婚。下関市黒石堂病院勤務。
明治45年(1912年)3月一一   27歳。大阪緒方病院勤務。

大正元年(1912年)12月16日   27歳。長男亨出生。
大正三年(1914年)5月一一  29歳。高知市中島病院耳鼻科部長勤務。
大正四年(1915年)2月12日   29歳。次男博人出生。
大正五年(1916年)8月――   31歳。徳山町東浜崎に開業。
大正六年(1917年)1月3日   31歳。三男輝出生。
大正九年(1920年)5月16日  35歳。四男昌美出生。
大正元年(1922年)1月23日  36歳。五男芳人出生。熊本医科大学耳鼻咽喉科入局。
大正十五年(1926年)5月――  41歳。文芸詩「つゞみ」(津々美)創刊、のち「草笛」と改題。

昭和二年(1927年)10月19日  42歳。周南医学会を創設。
昭和七年(1932年)5月1日  47歳。第十九回県医学会準備委員長。
昭和十一年(1936年) ――  51歳。徳山市医師会長。
昭和七年(1941年)5月4日  56歳。第廿八山口県医学会副会長。
昭和十八年(1943年)1月29日 58歳。山口県医師会理事。
昭和二十年(1945年)5月2日  60歳。五男芳人戦死。
昭和二十二年(1947年)6月23日  62歳。初孫美枝子出生。
昭和三十三年(1958年)4月  73歳。芳堂随筆『落暉を浴びて』刊行。
昭和三十六年(1961年)9月24日  76歳。薄月庵にて永眠。

昭和三十七年(1962年)3月。芳堂遺稿編集委員会が『枯尾花』を刊行。

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 あ と が き
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 芳堂梅原成美先生は、医家五世として生れ、幼少から文才に秀で中学時代の作品「秋の
なやみ」が現代名家文集に採録された頃から、文学立身か、医家継承か、と悩んだのち後
者を選んだ。
 私が先生を知ったのは、終戦まもない頃ひらかれた徳山医師会の席上であるが、刀圭界
における輝かしい業績と識見とその風格は、全会員の尊敬を一身にあつめて、先生のある
ところ、路傍のゆきずり諸種の会合をとわず、和気藹々の雰囲気につゝまれていた。
 杏林界における活躍のかたわら、趣味としてものした作品は、多面に亘り膨大なものと
なつて、独特の芳堂文学を形成し、かねてから徳山文化のためにと、繁忙をさいて、作品
集を克明にまとめあげていたが、之等はすべて、大東亜終戦直前の徳山煤災にあつて、惜
しくも家財道具一切と共に烏有に帰した。
 晩年になって、初一念貫徹の気が汕然として再燃し、昭和三十三年迎春と共に、芳堂
随筆「落暉を浴びて」を刊行してからは、その情熱を”徳山の文化に貢献せし人々”なら
びに句詩集”枯尾花”の資料収集と採録に頷けたが、業なかばにして、二豎の冒かすとこ
ろとなり、遂に昭和三十六年九月二十四日、こう焉(溘焉)として逝かれた。
 悲涙の未だ乾かないうらに、先生の遺徳は、芳堂文学賞の制定や、芳偲会の結成となっ
て現われ、二つに分けられていた遺稿も、有志が相寄って、翌年の陽春に第一部「枯尾
花」が世に送られた。
 これに引き続いて第二部の編集にとりかかり、多岐に亘る資料の整理、考証、配列や写
真の蒐集は予想以上に手間どって、四年後の今日漸くまとめあげたが、この間、原文には
つとめて忠実に当ったものゝ、不備の点は編集責任者としての私が負うべきもので、切に
寛容を賜りたい。
 ともあれ芳堂遺稿「徳山の文化に貢献せし人々」は単なる郷土史ではない、文化の砂漢
をして、緑林たらしめんとの悲願に結集された、芳堂文学の絶篇である。………げに「人
生は短かしされど芸術は永し」という言葉の通り、先生の名は、郷土丈化史上に永く特記
されて、周南の躍進と共に仰がれるであろう。
 最後に、遺稿編集についていろいろ激励を戴いた芳偲会の方々に深謝し、職繁をいとわず終始尽力下さった委員を素描として厚意を明記したい。

玉野由槻雄 ―― 優雅繊細な周南の歌人、本書中の写真収録が示す通りカメラも玄人。

田村展祥 ――  柔和誠実で本書でも水際立った編集ぶり、らしからぬ新聞人、旬も作る。

原田光之 ―― 素朴実直さはよく周囲を感化、芳堂著書全篇を印刷、仏教心に富む。

松村 勇 ―― 緻密堅実で近代的感覺に優れた文人、芳堂著書全篇の発行所を担当。

  昭和四十年三月

     吐禅荘  磯村 仁

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 参照文献
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『徳山の文化に貢献せし人々』

昭和四十年二月十五日印刷(五百部限定)
昭和四十年三月一日発行(非売品)
   山口県徳山市梅園町 薄月庵
   著 者  梅 原 芳 堂
   山口県徳山市代々木通一丁目
   発行者  梅 原   亨
   山口県徳山巾久米 共楽園印刷課
   印刷者  原  田  光  之
発行所
  徳山市本町一ノ六マッノ書店 電話②二一九五番
      芳堂遺稿編集委員会