『金色夜叉』は明治30年1月1日元旦から読売新聞に掲載された、尾崎紅葉の連載小説です。
当時の読売新聞。第1面に掲載された。
1日目(第1話)と2日目(第2話)は第1面に掲載された。3日目(第3話)は第3面に掲載されていました。
【眉雪の解説】
『金色夜叉』は、明治30年(1897年)元旦に、読売新聞で連載が始まった。
当時の新聞が画像1である。
現在の新聞の1ページの寸法は、縦545×横406㎜ですが、
明治30年(1897年)の読売新聞の1ページの寸法は、縦53×横37cmだったそうです。
僅か全6ページ。1ページ6段、1段22文字。
文字の大きさは、5号、縦3.5×横3.5㎜。
それをA3サイズ(縦420×横297㎜)に縮小コピーしたものを更に縮小してアップしました。
今でこそ読売新聞、朝日新聞は、全国区の大新聞ですが、明治時代ではどちらも二流でした。
それが、この『金色夜叉』の連載で読売新聞はかなり部数を伸ばしたそうです。
妬(やっか)んだのが朝日新聞。
二匹目の泥鰌を狙って、帝国大学(現・東京大学)から夏目漱石を引き抜きました。
まあ、引き抜いたと言うより、漱石は教師として不評だったんですね。
学生から突き上げを喰らってノイローゼ気味だった漱石は、友人の高浜虚子らに勧められて小説(『吾輩は猫である』など)を執筆したのが大当たり。
脚光を浴び始めた頃です。
因に尾崎紅葉、夏目漱石、正岡子規は同い年の帝大卒。
当時の印刷は、活版印刷で、一文字一文字の活版(活字)の判子を選び組み合せて文章を作った。
「文選」「植字」と呼び、手作業です。(画像3と4)
外国と異なり日本の場合、漢字とひらがな、カタカナがある。勿論、英数字も扱う。
漢字も現在の常用漢字の約2000字ではなく、6000字以上を扱っていた。
さらに総ルビを振っていたのである。
ルビを振っていたのは、大衆を相手にしていた新聞の必要な利便性、要するにサービスだったのだ。
この手間たるや大変なものであり、高度な職人技でした。
加えて、当時の小説家は、結構当て字を用いたので、気が抜けなかった。
26文字しかない英語圏とは、作業量が、その4倍、否、5倍以上違うだろうことは、容易に想像できますよね。
現在、コンピュータが導入され、パソコン画面で簡単にできるようになったので、
英語圏との差は小さくなったでしょうが、恐らく、活版印刷時代の職人技は、世界一だったに違いない。
昭和21年(1946年)に告示された当用漢字表に因り、新聞社はルビを振らなくてよくなった。
漢字数も3分の1以下になり、大幅に植字の作業量が減った。
と言うより、国語審議会の漢字制限の方針に大いに賛同し、広告、推進していたのだ。
今から考えると、商業主義に魂を抜かれた大いなる過ちであった。
それから僅か20年後にコンピュータが導入されようなどとは、想像していなかったからだ。
とにかく、明治時代の人たちの、毎朝楽しみにしていた、その息遣いを感じ取って頂ければ・・・
と、思うのです。