賡酬(こうしゅう)

賡酬

【読み】こうしゅう

【意味】詩歌しいかをよみかわすこと。

【出典】『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 32頁 4行目

「遺稿の中に泉豊洲、倉成竜渚くらなりりゅうしょ頼杏坪らいきょうへいらと賡酬こうしゅうの作あるは重に嚶鳴館の関係からであろう。」

碕沂(きぎん)

碕沂

【読み】きぎん

【意味】岩石が突き出た岸。

【出典】『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 36頁 14行目

「魚鳥マタ碕沂きぎんノ間ニ相嬉あいあそブ。」

意味は文庫本の「注」語彙説明(264頁)を引用。

槎枿(さげつ)

槎枿

【読み】さげつ

【意味】切り株から生えたひこばえ。

竦樛

【読み】しょうきゅう

【意味】ひこばえが上に下に伸びて繁茂していること。

 

【出典】『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 37頁 1行目

「園ハ喬木きょうぼく多ク、槎枿竦樛さげつしょうきゅう、皆百年外ノ物タリ。」

意味は文庫本の「注」語彙説明(264頁)を引用。

切り株。音読み「げつ」「がつ」 ←JPEG画像です。自家製ですのでご容赦を♪

 

騒人緇流(そうじん しりゅう)

騒人緇流

【読み】そうじん しりゅう

【意味】

騒人は、屈原の「離騒」に基づく語で、詩人・文人をいう。

緇流は、僧侶。緇は、僧衣の黒染めの色をいう。

【出典】『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 14頁 13行目

「尾濃ノ間騒人緇流そうじんしりゅうソノ高風ヲ慕ヒ遊ブ者常ニ数十人。」

意味は文庫本の「注」語彙説明(260頁)を引用。

穿過(せんか)

穿過

【読み】せんか

【意味】横切る。通り抜ける。つき切る。

【出典】『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 36頁 14行目

「池ノ南ハ密竹林ヲナシ、清流ソノ下ヲ穿過せんかス。」

【参照】『大漢和辞典』大修館書店

日待塚(ひまちづか)/日待塔(ひまちとう)

日待塚

【読む】ひまちづか

日待塔

【読む】ひまちとう

【意味】日待は、朝方まで人が集まって飲食する信仰のこと。その供養の記念として造立した塔が日待塔である。

「日」は太陽のこと、年月日の意味ではない。日の出を待って夜明しをする場合「日待」と呼び、月を拝む場合は「月待」と呼ぶ。

〔日待の詳細〕

村内の仲間の者が集まって、ある決まった日の夕刻より一夜を明かし、翌朝の日の出を拝して解散する行事。

その期日は土地によって異なるが、正月、五月、九月の十六日とする所や、月の二十三日を重んずる所もある。

なかでも六月二十三日が愛宕権現あたごごんげんや地蔵菩薩ぼさつの縁日で、この日を日待とする所もある。

また、庚申講、こうしんこう二十三夜講やこうの日を日待とする所も、日待講と呼ぶ所もある。
さらに、日待小屋という建物があり、村の各人が費用を持参する例もある。

〔日待、月待、庚申待の違い〕

日待ひまちとは、近隣の仲間が集まって特定の日に徹夜してこもり明かし、日(太陽)の出を拝む行事。正月、五月、九月などに行われる。

月待つきまちとは、陰暦で月の十七日、十九日、二十三日などの夜、月の出るのを待って供物を供え、酒宴を催して月を祭ること。特に、正月、五月、九月の二十三夜が盛大であった。「月祭り」とも言う。

庚申待こうしんまちとは、庚申かえのさるの日、仏家では青面金剛しょうめんこんごうまたは帝釈天たいしゃくてん、神道では猿田彦神さるたひこのかみを祭り、村人や縁者が集まり、徹夜する行事。庚申会こうしんえ

〔眉雪の愚見〕

日待、月待、庚申待は、元々は宗教祭事だったかも知れないが、庶民的民俗行事となった、と思われる。
夏の盆踊り、秋祭り、歌留多会などと同じで、次第に、男女の出会いの場となった。

日待塚、日待塔

【関連】月待塔(つきまちとう)、月待塚(つきまちづか)、庚申塔(こうしんとう)、庚申塚(こうしんづか)

一劑/一剤(いちざい)

一劑/一剤

【読み】いちざい

【意味】服用時点が同一の内服薬。

出典:『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 14頁 8行目

「先生ヲシテセシムルニ一劑ニシテユ。」

月+羅の漢字

月+羅の漢字 ら(ろばの下腹の肉) (←JPEG画像です。UNIコードに無いので自家製です♪)

【読み】ら

【意味】ろばの下腹の肉。

〔集韻〕〇(ら)、驢腹下肉。

 

【熟語】らだつ (←JPEG画像です。UNIコードに無いので自家製です♪)

「(月+羅の漢字)」と「脱」で「らだつ」

【読み】らだつ

【意味】攞脱は、抜け出ること。(解説の成瀬哲生氏は、「攞」も同じ意味としている。)

【出典】『下谷叢話』 永井荷風・著 岩波文庫 2000年9月14日発行 37頁 6行目

「こゝに来遊するは一日世塵せじん〇脱して園林の幽趣をめづるなれば、・・・」

意味は文庫本の「注」語彙説明(264頁)を引用。

麟經/麟経(りんけい)

麟經/麟経

【読み】りんけい

【意味】春秋をいふ。春秋は西狩獲麟の一句に終るからいふ。麟史。

〔獨醒雑志〕蔡京當國、春秋之學、蕭子荊謂馮澥曰、蔡氏廢麟經、忘尊王之義矣、是将爲宋王莽。
〔馬祖常、都門一百韻用韓文公曾合聯句韻詩〕羣儒修麟經、諸将宣豹略。
〔故事成語考、文事〕孔子作春秋、因獲麟而絶筆、故曰麟經。
〔枉預、春秋左氏經傳集解序〕麟鳳五靈、王者之嘉瑞也、今麟出非其時、虚其應而失其歸、此聖人所以爲感也、絶筆於猥麟之一句者所感而起、固所以爲終也。

麟経
Screenshot

【註】春秋とは。

『春秋』(しゅんじゅう)は、古代中国東周時代の前半(=春秋時代)の歴史を記した、編年体の歴史書。
一方で、儒教においては単なる歴史書ではなく、孔子が制作に関与した思想書であるとされ、儒教経典(五経または六経)の一つ『春秋経』として重視される。
『春秋』が読まれる際は必ず、三つの伝承流派による注釈「春秋三伝」のいずれかとともに読まれる。
『春秋』は、春秋学と呼ばれる学問領域を形成するほどに、伝統的に議論の的になってきた。

『春秋』が扱う年代であることから、「春秋時代」という名称が生まれた。
儒教においては、『春秋』は孔子によって制作された、または原書に孔子が手を加えたとされる。
但し、原書の『春秋』は散逸している為、孔子がどこに手を加えて経書の『春秋』としたのか、不明。

『春秋』の内容は、王や諸侯の死亡記事、戦争や会盟といった外交記事、および災異説にもとづく日食・地震・洪水・蝗害といった災害記事が主たる内容で、その体裁は、年月日ごとに淡々と書かれた年表あるいは官報のような体裁である(編年体)。そのような淡々とした記述の背後に、孔子の思想が隠されているとされる(春秋学)。

記事にされる出来事は魯国での出来事を中心としており、紀年法も魯国の君主の在位年が用いられている。扱われる時代は、上は魯の隠公元年(紀元前722年)から、下は哀公十四年(紀元前481年の「獲麟」と呼ばれる出来事)までの242年間にわたる。

『春秋』は、「年・時(季節)・月・日 – 記事」という体裁をとっている(編年体)。

 

【参考】「編年体」と「紀伝体」

「編年体」(へんねんたい)とは、歴史の記述法の一つ。起こった出来事を年代順に記してゆく方法を指す。

「紀伝体」(きでんたい)とは、歴史の記述法の一つ。個人や一つの国に関しての情報をまとめて記述する。中国の正史は全て紀伝体である。
紀伝体は、本紀、列伝、志、修史詔、四夷、国語解から成る。
「紀伝体」の名称は、このうち上位に位置づけられた2項目、「本紀」と「列伝」に由来する。

本紀(ほんぎ)・・・皇帝や王などの支配者に関した出来事を年毎に記述する。世家(せいか)諸侯に関する記述。
列伝(れつでん)・・・個々の人物の伝記。
志(し)・・・天文・地理・礼楽・制度など、分野別の歴史。表(ひょう)各種の年表や月表。載記(さいき)各地に割拠した自立諸勢力の記述。
修史詔(しゅうし しょう)・・・その歴史書が奉勅公撰であることを公に示すために、編纂を命じた詔勅の写しを付録したもの(『晋書』など)。
四夷(しい)・・・列伝から異民族出身の人物に関する記述を独立させたもの(『晋書』など)。『新五代史』では契丹(遼)がこれに含まれる。
国語解(こくごかい)・・・異民族王朝の場合、彼らに固有の民族語が頻出するため、特にその解説を添えたもの(『遼史』『金史』など)。

臭ヲ逐フ(しゅうヲおフ)

臭ヲ逐フ

【読み】しゆう を お ふ 〔口語:しゅうをおう〕

【意味】(『大漢和辞典』より)

くさいものをおふ。嗜好の偏った喩。

〔呂覽、遇合〕人有大臭者、其親戚兄弟妻妾知識無能與居者、自苦而居海上、海上人有悦其臭者、晝夜隨而不能去。
〔曹植、與楊徳祖書〕蘭苣蓀蕙之芳、衆人所好、而海畔有逐臭之夫。

【熟語】逐臭(ちくしゅう)

逐臭(ちくしゅう)