除災増福
【読み】じょさい-ぞうふく
【意味】災難や不運を払い、福祐増進を祈ること。
福祐・・・神のたすけ。神祐。転じて、幸福。さいわい。また、そのさま。
ちなみに、除災招福は 、災難や不運を払い、良い運や幸せを招き入れるように祈ること。
【神社仏閣の祈祷の説明】
祈祷の説明に「神仏の加護を願い、言葉によって除災増福を祈ること。また、その儀礼」とある。この説明の中の「増福」は初耳だった。「招福」の間違いでは無いか、と神社仏閣の説明を調べてみた。
例1.曹洞宗・法岩院の「祈祷」の説明
神仏のご加護を願い、除災増福を祈ります。法岩院では、ご本尊お釈迦様、鎮守(道了尊さま)へ飲食・花・灯明・香を供え、読経いたします。
例2.曹洞宗・可睡斎の「御祈祷」の説明
御祈祷を受ける人々はその厳かな雰囲気の中、神仏のご加護を願い、除災増福を祈り、頭を垂れ、焼香を行います。
例3.日枝神社の「御祈祷(御祈願)」の説明
江戸時代、赤坂の溜池を望む星が岡に鎮まり、東都第一の大社にして将軍家、諸大名が事あるごとに御祈祷(御祈願)をした「祈りの岡」日枝神社。
除災招福祈願・・・災いを祓い除け、転じて幸福が来る事をお祈りいたします。
例4.若宮住吉神社の 「祈祷」の説明
除災招福とは 災いが続くのを絶ち、良いことが起こる流れになるよう、社殿の御神前にて祈念する祈祷。
例4.高野山増福院の縁起
当院は鎮守府将軍多田満仲公の末孫多田仲光の三男源賢和尚の開基によるものです。満仲公は元弘法大師を深く尊信し高野山を師崇していました。長徳三年病床に伏すや高野山に寺院を建立、弘法大師を讃仰し一門の「福祐増進を祈るべし」と遺言しました。増福院の院号はここから来ています。
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【追記】徳川家康公の遺言
徳川家康公は生前、家臣に対し、自分の死後について「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、八州の鎮守になろう」(『本光国師日記』より)との遺言を残されました。
東照宮(とうしょうぐう)とは、江戸幕府初代将軍の徳川家康を「東照大権現」として祀る神社である。