藤原朝臣春海

読み:ふじわらの(あそん)はるみ

性別:男性

生没年:未詳

父親:藤原吉備雄 母親:滋野貞主の娘

階位:従五位上

大学頭・文学博士

【詳細】

北家内麻呂流、吉備雄の子。

大学に学び、文章得業生となり、仁和二年(886年)方略試を受ける。

この時の対策が『本朝文粋』に入る。

寛平元年(889年)正月の宇多天皇主宰の内宴に序者となる。時に少内記。

同三年七月、三統理平の方略試の問題博士を勤める。時に式部大丞。そののち下野守に転じる。

延喜元年(901年)秋、藤原時平が主宰した大蔵善行七十賀宴に列なり頌寿の詩を詠作する。

同二年文章博士となる。

同四年(904年)から始められた『日本書紀』講書では講博士として講書を行い、『延喜四年私記』(散佚)を草した。その頃、大学頭。延喜六年、講書が完了し、竟宴が行われたが、その竟宴和歌に詠歌。従五位上に至る。『雑言奉和』に詩二首が残る。

【参照】

『新日本古典文学大系27 本朝文粋』 1992年5月28日発行  岩波書店 p.396